第1部 新米ハンターの冒険録

“影”の目に映るありさまが頭の中に流れ込んでくる。
崩れ落ちた砂漠の都……そして、影の前に立ちふさがる戦士達の姿。
まるで自分自身でその光景を目にしているように。

「そろそろ、頃合いか。」

ソレはたった一言呟くと、幾重にも張り巡らされた結界の外へと、微量の魔力を放出した。
厳重な結界のわずかな隙間を縫ってその魔力は、はるか南の砂漠の国へと瞬時に伝わっていく……。


そして時は、夜一と雲外鏡が辿り着く前のサンドランド王宮まで遡る。

第38話『集いし小さな光』

「むう……! これは面白い。音色の刃とは。」

チャルメラの音色が実体を持って“影”に纏わりつき、その体を切り刻んでいく。
音の攻撃は、目にもとまらぬ速さで男に襲い掛かっていった。

「【パイパー・エッジ】はどうかな? ……お気に召したならいいんだけど。」

ポティーロはそういいながら、さらにチャルメラに籠める力を強めた。
古のエンチャントによって力を得た音色の刃が、無数の風となって砂漠を駆ける。
刃に纏わりつかれて男は反撃することができず、一方的な攻撃がしばらく続いた。
しかし、それは長くはなかった。
しだいに刃の速度は鈍くなり、少しづつ“影”へ命中しなくなっていった。
エンチャントを発動させ続けているポティーロも、チャルメラに力を奪われ、呼吸が乱れていく。

「貴様の力はこの程度か?」

体力を消耗しているポティーロとは裏腹に、男は傷口から滴る血など気にも留めず笑みを浮かべた。
敵の余裕に押されつつも、尚もポティーロは曲を奏で続けたが、その音は次第に小さくなり、 とうとうチャルメラの音色が完全に止んだ。

「くそっ……音が……!」
「エンチャント、【パイパー・エッジ】。なかなか面白い力を持っているようだ。疾風のごとき連続攻撃によって、相手に反撃の隙を与えずに倒す事ができる利点は、確かに大きい。」

“影”が右手を天に掲げると、全身の出血が止まり傷口が閉じる。

「だがしかし……長きに渡る発動は術者の体を蝕む。術を維持できなくなるまでに相手を破れなければ、術者の負けだ。」
「…………。」

ポティーロに言い返すことはできなかった。
“影”の指摘はもっともなことだった。
それこそがまさしく【パイパー・エッジ】の弱点だからだ。
そして、ポティーロは男を倒すまでエンチャントを発動し続ける事はできなかった。

「お前の負けだ。」

男が、疲弊して動きが取れなくなったポティーロのもとへと歩み寄る。
ローブに隠された剣に手をかけ、その剣先を少年の首へと向ける。

「お前も、我らの力となれ。」
「くっ……!」

必死に足を動かし、後退しようとするが【パイパー・エッジ】のリスクは大きかった。
砂に足をとられてポティーロは大きく転倒する。

「諦めの悪い奴め。…………!これは……。」

何かを察知した“影”は足を止めた。
そして、突然ポティーロに背を向けて王宮の屋根の上へと跳躍し、 もう一度手を天空へと掲げると、再び冷徹な邪笑を浮かべた。

「どうやら頃合いが来たようだ。」
「頃合いだって……?」
「その通り。我自身が、あの結界を抜け出るときが来たということだ。」
「!!」

男が軽く言い放ったその一言は、ポティーロの心に重く圧し掛かった。
封印から“影”の本体が解放されると言う事は、ある一人の人物に危険が迫る事を意味するからだ。
ポティーロがいない今、たった一人で封印を管理していた人物の身が危ない。

「我が、あの兵士達にこれより魔力の信号を送る。……そうすれば奴らは一斉に封印のカギを奪うために、あの男に襲い掛かるだろう。」
「やめてくれ! 閣下には手を出すな!」
「フフ、お前が忠誠を誓った男の死は我の手によってではなく、お前の同胞によってもたらされる。」

「何て惨い事を……!!」

懐から少年は一枚の紙切れを取り出す。
『ロドス行きチケット』と書かれたその紙切れを地面に置き、ポティーロは解放言霊を唱えようとした。
だが。

「帰らせると思うのか?」

男の冷たい声が聞こえたその瞬間、ポティーロの体に強い衝撃が襲い掛かった。
式神たちが操る【神力】に似たその魔力の塊は、疲弊した少年を吹き飛ばすのには十分だった。
彼の手から弾き飛ばされた紙切れを、男が手に取る。

「計画は変更だ。お前を殺すのは後回しにするとしよう。」
「ぐっ……どういうことだっ!」

【パイパー・エッジ】の長時間発動による疲れに加えて、 魔力の塊によるダメージでポティーロの体は既に限界ギリギリだった。
そんな様子を見て“影”は満足げに頷いてこう言った。

「奴の解放の為にお前から“絶望”を分けてもらおうと思ってな。」

“影”は微量の魔力を空に向けて放出した。
放たれた魔力は瞬時に砂漠の王宮を離れ、どこかへと消え去っていく。
ポティーロはそれが何なのか、どこへ向かったのかすぐに理解した。
あの封印の祭壇を護る兵士達への信号。
男は洗脳した兵士へある命令を下したのだ。
自身の本体を封印から解き放つために、結界の鍵を護る人物を闇へ葬るようにと。

「閣下、お逃げください……!」

ポティーロは遠く離れた地で独り結界を護る主に、聞こえるはずもない警告をし、砂漠に倒れた。
少年の体はもう限界だった。
遥か上空で“影”は、ポティーロが倒れる様子を邪笑を浮かべて眺めていた。
しかし、その表情は一瞬で驚きへと転じる。

「これは……。」

廃墟と化した王宮へ再び、それも今度は二人組がやってきたからだ。
四楓院夜一と式神・雲外鏡だ。
二人は急ぎ倒れている少年のもとへと駆け寄る。

「ポティーロ殿!!」
『大丈夫よ。彼は体力を消耗して意識を失っているだけ。命に別状はないし、すぐに意識を取り戻すでしょう。』
「そうか。それならば良いのじゃが……。」

夜一は、上空で様子を眺めているローブの男に視線を移した。
サンドランドに次々と降りかかった災厄をもたらした元凶。
とうとう、その元凶を見つけたのだ。

「貴様が、この砂漠に災いをもたらしたのか?」

落ち着きはらった声で、夜一は男に尋ねる。
“影”は大きく頷いた。

「いかにも。我がしたことだ。」
「何の為にこの砂漠にそのような事をした!?」
「……災厄をもたらせば、“絶望”が得られる。」
「何?」

夜一には男の言った言葉が理解できなかった。
それは隣にいる雲外鏡にも同じ事のようだ。

『一体どういう事なの?』
「絶望の念は奴の封印の解除に、力となる。我にはそれを集める使命があるのだ。」
「何じゃと……?」

瞬神と謳われた砂の王国の戦士は、その速さであっという間に男との距離を詰める。
夜一は魔獣のツメで襲いかかったが、寸前に男が隠し持っていた剣によって防がれた。
金属と金属がぶつかり、独特の冷たい音が王宮周辺に響き渡る。

「貴様が誰の事を指して言っておるのかは知らぬ。じゃが……。」

さらにツメで夜一は強力な一撃を繰り出す。
そしてそれを男が剣で防ぐという攻防が続く。

「他人の絶望を糧とするような者の為に、砂漠の民を犠牲にしたこと、断じて儂は許さぬ!」

夜一が男の剣を弾き飛ばした。
勝負は決したかのように思えたが、“影”は咄嗟に魔力の塊を放ち夜一を吹き飛ばす。
男は弾かれた剣を拾いなおすと、ポティーロにしたのと同じように、彼女の首に剣先を向けた。

「だから何だと言うのだ? 我は最初から許しを請うつもりなどない。何よりお前は無力だ。我に勝つこともできないお前が、砂漠の民を救えるか? お前の前で今まで何人の砂漠の民が死んでいった? お前には砂漠は救えない。砂漠はあの御方の為に死ぬのだ。大いなる力となる為に、死ぬのだよ。」
「そうはさせん……そうはさせるものか……!!」
「フフ、口だけは達者なようだがな。……死ぬが良い、砂漠の戦士よ。」

“影”が剣を握る腕に力をこめた瞬間、背後から強力な衝撃を受け、王宮の壁に強く体を打ちつけた。

『私を忘れてもらっては困るわ。……全く、夜一も夜一よ。勝手に始めないでよね。』
「おのれ……式神風情が……!!」

男が魔力の塊を放つと、雲外鏡も【神力】を放った。
二つの魔力の塊がぶつかると大きな爆発が起こる。
その爆発で王宮の一部が崩れ落ち、ガラガラと騒がしく音をたてた。
態勢を立て直した夜一のもとへ雲外鏡が駆け寄り、二人は王宮を背にする“影”を睨みつけた。

「確かに貴様の言うとおり、儂の前で多くの砂漠の民が命を落とした。オアシスの聖水が失われてから人々から活気が消え、国は混沌とし、王は逃げ去った。儂はそれでも、国を護りたい。貴様の手から一人でも多くの命を救いたい!」
「だが、お前では我には勝てぬ。例え式神風情が加勢したところで同じ事!」
「それはどうだろうな……?」

三人が声のした方向を振り返ると、そこには先ほどまで意識を失っていたポティーロが立っていた。

「ポティーロ殿! 御主は動けない体のはずでは……。」
「これですよ、夜一さん。」

そう言うとポティーロは懐から小さな宝玉を取り出した。
神秘的な青に輝いているその宝玉は、林間街道でシュウに譲った緑の宝玉と酷似していた。

『魔界の宝玉の一種ね。籠められた魔力で一時的に自身の力を引き出すモノよ。』

雲外鏡がそう夜一に説明すると、ポティーロは“影”に視線を戻した。

「確かに夜一さんだけでは貴様に勝てないかもしれない。だけど、夜一さんは独りじゃないんだ。閣下のことは……心配だ。でもお前をここで討ち果たすのが先さ。」
「フン、魔力で自身のダメージを誤魔化しているお前が加わったところで何になる? 死体が一つ増えるだけではないか。」
『彼だけじゃないわ。』
「……何?」

雲外鏡は背後を振り返り、男に背を向けたままで続ける。

『この砂漠を救おうとしているのは、夜一や彼だけじゃない。見て御覧なさい。』

彼女が指をさした先には、四人の人影が王宮へ向けて走ってきている姿があった。
シュウ、左之助、狗神、伽耶。
その上に、併走するように空を飛んでいるウリヤ族がいた。

「夜一さん! 無事ですか!?」
「シュウ! 来てくれたのか!」
『ありゃー? 雲姉さんじゃん。』
『狗神!』

シュウと夜一は林間街道での会話以来、ようやく再会を果たした。
狗神と雲外鏡もまた同様に、何百年ぶりの再会だった。
そこへ“影”が魔力の衝撃波を放つ。
だがしかし、衝撃波は四人の所へ辿り着く事はなかった。
左之助が投げた小さい爆弾に直撃したため、軽い爆発が起こっただけだった。
そして反撃とばかりに激しい業火が“影”に殺到する。

「せっかくの再会を台無しにするなんて、感心しないナ★」
「同意ね。カッコ悪いわよ?」

盗賊王の篭手をはめ、後ろで再会を果たしている四人を護るように左之助が前に出る。
伽耶も包丁を握り男を見据える。

「雑魚が群がりおって……!」

“影”は業火から逃れるように王宮の屋根へと降り立つと、 再度魔力の塊を放とうとするが、ポティーロが発動させた【即死】の強力な衝撃で中断させられた。
そこへ二人の式神は【神力】を繰り出す。

「儂は何としても砂漠を救ってみせる。
…………こんなにも、仲間がいるのじゃ。できぬはずがあるまい?」

砂漠を巡る最後の決戦が、始まろうとしていた。

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