第1部 新米ハンターの冒険録

痛いよ、苦しいよ……悲しいよ。
どうして? 何でそんなことをするの?
わからない。わからない。わからない。わからない。
ただ、痛みだけが体中に残る。


第26話『孤独の空間』

部屋の中は、全てが真っ白だった。
壁があるのか? どこまでが天井なのか? 光源はどこなのか?
全ての境界が曖昧で、時間の存在すら分からないような空間で。

一人だけ、ぽつんと少年が座っていたら、いやでも目立つ。


「ねえ、お兄さんは、何をしにきたの……?」
少年は振り返りつつ、こちらに顔を向けてそう言った。
一体誰なんだよ。この子は。

「いや、俺は……狗神と……。」
「……クス。」
「何がおかしいんだ?」

俺は、一歩少年に近づいた。
その時だった。
少年は、驚くほど恐ろしい目で俺を睨んだ。
足は言うことを聞かず、動けなくなってしまった。

「だって、お兄さんで18人目。」
「な、何が?」
「・・と契約するんだ、ってここへ来たハンター。」

ゆっくりと立ち上がった少年は背伸びをして、大きく深呼吸をしだした。
相手に戦意は無い。
だが、依然として俺の足は動いてくれない。
目に見えないプレッシャー。
それを、あの少年から俺は確かに受けている。

「君は一体誰なんだ? それに、……狗神はどこにいる。」
「だーかーらー。僕だよ。」
「……何だと?」

くすくすと笑いながら、少年がこちらへやってくる。
さっきから、冷や汗が止まらない。

「僕がここに捕まえられてから、そうだね、もう数百年経ったかなぁ。」
「まさか君が『狗神』だというのか?」
「さっきからそういってるじゃん、お兄さん。」

信じられなかった。
ティガーヤさんの話では、亡霊だとか言ってたはずだ。
いや、それが間違いである可能性もあるが、……狗神は式神だ。
この子は……、どう見ても人間じゃないか。


「君は、……ここから出ようとしなかったのか?」
「考えたよ。でもね、無理なんだよ。」
「な、何故だ?」

少年、いや、狗神は周りを見渡す。
壁が天井があるのかどうかもわからない、白い空間がただ広がっている。

「僕をここに閉じ込めた集団……水竜神団とかいったっけ? あいつら、結構式神の能力やその魔力について、勉強してたみたいなんだよね。素人には分からないと思うけど、この部屋にかけられた封印はかなり特殊なんだ。」
「特殊な封印……?」
「ただ僕を、この部屋に閉じ込めるためだけの封印じゃない、ってこと。僕という『存在』を封印してるんだよね。」

存在を封印する。
さっぱり、意味がわからない。

「うーん、簡単に言えばさ。『狗神』という名前だとか、うわさだとか。そういったものが、外部に知れないような封印がかかってるってこと。」

なるほど、そういう事なのか。
確かに、俺に狗神の名を教えてくれたアポロンさんは、ハンター協会の内部の者。
リサイクルショップのおじさんもそうだ。
例え狗神という存在を封印しても、神団と特殊な関係にある以上、名前くらいは知っていてもおかしくは無い。
俺だってこの依頼を受けるまでは、狗神の名前は聞いたことが無かった。
……だが、ティガーヤさんは。
何故、あの人は知っていたんだ? やっぱり不思議だ。

「まあ、そういうわけで、存在が人に知られているって事は大きいことなんだよ。僕の名を知っている人がいれば、その人の中に狗神という存在があるってこと。でもそれを封印されて、僕の名を知っている人が少なくなれば……。狗神という存在が、薄れていく。つまり、力を失ってしまうってこと。式神に対する『存在することへの認識・怖れや信仰』、それが僕たちの力の源の一つなんだよ。簡単に説明すればこういう事だよ。お兄さんも一度封印されてみたらわかると思うけど。」
「いや、俺人間だから。遠慮しとく。」

まず、何百年も生きることができないからな。
……狗神が、封印を破れない理由はわかった。
だけど。

「じゃあ、君はずっと独りでここに?」
「うん。」
「寂しくは、なかったのか?」
「そうだね、寂しくは無かったよ。暇だったけどね。」

気のせいだろうか。
今、一瞬だけ狗神の表情が曇った。
……これは嘘、なんだな。


「お兄さんさー。僕が生まれた理由を知ってる?」
「…………。」

ティガーヤさんの言葉が、脳裏によみがえる。

「飼い主に、あーんな目やこーんな目にあわされた犬が、死んでから……。」

飼い主に酷い扱いを受けた犬。
その邪霊が狗神だと、ティガーヤさんは言っていた。

「僕はね。昔は普通の犬だったんだよ。林間街道に住んでいる男の人に飼われていた、ごくごく普通の犬だったんだ。」
「……。」
僕はやがて虐待されるようになった。大体、人間で言うと16歳位の頃だったけどね。」

想像ができなかった。
俺は、……俺は、虐待という二文字とは無縁だった。
幼い頃に、親が死んでしまったから。

「それで……僕は死んだんだ。気がついたら、式神となっていた。式神の強大な力と、鉄壁の守りを手に入れたんだ。契約の挑戦に来たハンターは、みんな返り討ちにしてやれるほど、ね……?」

狗神は自分の手を眺めていた。
その手で、17人のハンターの命を奪ったのだろう。
あんな少年が……考えられないことだが、事実のようだ。

「だから、お兄さんが僕に契約の挑戦を望むなら。命の保障はしないよ?」
「わかってる。覚悟の上だ。」
「ふーん。ま、いいけど。……じゃあ。」

突如として、少年の周囲に黒い妖気が現れた。
妖気は少年の体を包み、一度全てを隠してしまった。

何て禍々しい力……これが、狗神か!

妖気が晴れると、そこに少年だった面影はなかった。
恐ろしい姿をした獣。
腐巫女さんの操る魔獣とは、比較にならないほどの力を感じた。

狗神の遠吠えが、封印された空間に響き渡る。
……来る!

「行くぞ、狗神!」

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