外伝第1章 呪縛の継承者

見間違いではあってほしい。
腐巫女はそう願わずにはいられなかった。
ラデルフィア城の方角で、禍々しい紅の光が一瞬見えた。

「まさか、神剣が……!」
「どうしたの?」
ウィンザー卿の問いにも答えず、腐巫女はすぐに協会を飛び出した。


第26話『紡がれる言葉』

湧き上がる紅の光に対して、バーグは叫ぶことしかできなかった。
やはり自分は間違っていたのか?
あそこでヴァンダルの命を奪ってしまえば、それこそ凶行に及んだ彼と同じ道をとることになってしまう。
そう思ったからこそ、バーグは彼を生かそうと思った。
しかし、彼はそんな想いを裏切り、陣の中心で笑っていた。

「やめろ……! 止めてくれ……!!」

その時、頭の中で懐かしい声が響いた。

貴方になら彼を止められる。

声はバーグに語りかけてくる。

貴方だから、彼を止められる。

貴方だから……?
一体、どういうことだというのだろう。
現にこうしてバーグは何もできずにいるというのに。

言葉を紡ぐのです。貴方の言葉を。

言葉を紡ぐ。
それだけで、ヴァンダルを止められると言うのだろうか?
しかし、バーグの疑念を無視して声は続ける。

さあ、“私”は貴方の言葉を待っている。言葉を、紡ぎなさいバーグ君。

バーグは気がついた。
この声の主が、誰なのか。
そして、声の言う“言葉を紡ぐ”ことの意味に。
バーグの言葉を待っているものの存在に。

ヴァンダル卿を止めるのです。それこそが、私が貴方に託した最後の願い……。

紅の光の中、バーグはヴァンダルを見た。
彼の手の中にいる“言葉を待つもの”に、語りかけるようにバーグは言葉を紡ぐ。

「我は、天命によりて永劫の呪縛と引き換えに、終焉を司る門を開く者。」

それに気がついたヴァンダルの目が開く。
今度は、彼が叫ぶ番だった。

「おい……やめろ……!! やめないか!」

しかし、バーグは止まらない。
紅の光が和らいでいく。
光の中、ロサンスやアポロンは驚いたようにバーグを見る。

「剣よ、真の呪縛の継承者たる我の言葉を聞け。」

貴方だから、止められる。
それはこういう意味だったのだ。
バーグにだからできる事。
ロサンスやアポロンにもできない、バーグだけができる事。

「呪われた紅光よ……“無”に帰れ。」

バーグの紡いだ呪文に従うように、ラデルフィア城を包んでいた光が消え去っていく。
紅の陣が無へと帰っていく。

……ありがとう、バーグ君。やはり貴方を選んでよかった……。

ヴァンダルの手の中にある終焉の神剣は、完全にその光を失った。
剣は正当な継承者であるバーグの言葉を待っている。
もう、ヴァンダルの命令を聞くことはない。
そしてあの声も、聞こえなくなった。
終焉の神剣の力を通して頭に流れ込んできたあの声は、間違いなく。

「……やっぱ、アンタには敵わねぇよ。」

完敗だ。
ヴァンダルはそう続けた。
それは、バーグやロサンスに向けられた言葉ではない。
ここにはいない、誰かへ向けられた言葉なのだろう。

「ヴァンダル卿。これ以上、無駄な抵抗はやめて下さい。」
「ああ、そのつもりさ。今度こそ俺の負けだ。」

神剣の能力を失った状態で、ロサンスやフレイム兵の部隊を突破することは不可能だろう。

「だが、君の情けに甘えるつもりも無い。」

ヴァンダルにはたった一つだけ選択肢が残されていた。
バーグの手で逮捕されるという道から逃れる選択肢。
それは。

「せめて俺はこの呪われた剣の怨念となろう。」


自害すること。
それだけが彼に残された選択肢だった。
その一瞬の出来事に誰もが凍りついたように、動く事ができなかった。
……新たに中庭に現れた一人を除いて。

「長官……?」

腐巫女は呆然としているフレイム兵達の合間を縫って、神剣を握ったまま倒れたヴァンダルのもとへと走った。
そして癒しのエンチャントを発動させる。

「ヴァロア卿は、命を取り留めました。」

必死にマナをかき集めてヴァンダルに力を送り込む。
だが、彼が動く気配はなかった。
それでも腐巫女は回復をやめようとはしない。

「……長官、返事をして下さい。」

聞いていられないような悲愴な声だった。
返事がないにも関わらず、腐巫女はただひたすらに力を注ぎ込んでいた。

「もう、やめなさい。」

声をかけたのはロサンスだった。
事実は受け止めなければならない。誰かが伝えなくてはならない。
その辛い役目を、老人は背負った。

「ヴァンダルは、死んだのだ。」

老人の言葉が中庭に響いた。
カナンが複雑な面持ちのまま、兵士達に命令を下すと、数名の兵士がヴァンダルの体をそっと運び出した。
腐巫女はそこにうなだれる事しかできなかった。

「腐巫女さん……。」
「仕事だったわ。」
「……え?」
「アンタ達が闘技場で大怪我した時、私が治療したのは、長官の命令だった。」

トラシズムとの決戦の果てに、二人は天照神威による大火傷を全身に負い、普通のエンチャントでは回復できない状態だった。
そこでオーエンは回復のエキスパートである腐巫女にその救護を依頼した。

「あの時、私は長官からの命令で別の重要な任務に出ようとしていたわ。でもね。長官は私を呼び出して言ったのよ。」

「すぐに彼らを治療してやって欲しい。」
「……それでは、任務に支障がでます。よろしいのですか?」
「まあ、いいさ。あの年であれだけの実力を持ちながら、総長やオーエン卿に目をかけられてる。ってことは、きっと人格的にも優秀な欠点の無い優等生なんだろうな。」
「長官は、そういう人物は苦手だったのでは?」
「ああ、苦手だね。……でも、そんな優等生をここで失うのは惜しいだろ?」

「……。」
「長官らしいわよね、ホント。あの時私に治療させなければ、自分が死ぬこともなかっただろうにさ。」

腐巫女は少し笑って、そしてバーグの方を向き直った。

「アンタは生きなさいよ。絶対。」
「……はい。」


“ヴァンダルの乱”、と後に呼ばれる事件はこうして幕を閉じた。
この事件はサンドランド王国のハンター協会の支部受け入れを白紙に戻し、数年後に起こる別の事件にも影響を及ぼすことになる。
さらに、アルフォンス・オーエン卿やユーグ・ヴァンダル卿といった、ハンター協会にとって大きな存在を失う結果となった。
オーエンやヴァンダルの死は、ロサンスによって公表され、主を失ったフレイム支部はしばらくの間ウィンザー卿が指揮をとることになった。

それから、数ヵ月後……。


フレイム王国 ハンター協会 会議室 ────

「皆、集まってくれたようじゃな。」

円卓にはウィンザー卿やヴァロア卿を筆頭とする“ギルド”各支部の代表者や、物資管理を担当する“フレイト”を代表して総督のシュメール卿、腐巫女ら“諜報部隊”の隊員たちが座っていた。

「フレイム支部長であるアルフォンス・オーエンと、諜報長官のユーグ・ヴァンダル。我らハンター協会は先の事件で二人の逸材を失ってしまった。」

一般のハンターやフレイム王国を除く三国には事件の詳細は知らされなかったが、ここに集まっている協会幹部達には全てが知らされていた。
もちろん、ヴァンダルが今回の事件を起こしたことも。

「事件からこれまでは、ギルドのフレイム支部指揮はウィンザー総督に一任し、諜報部隊は長官不在のまま任務をこなしてきてもらっておった。 だがしかし、それをいつまでも続けるわけにもいかぬ。」
「後任人事、というわけですか?」

ヴァロア卿がそう尋ねると、ロサンスは頷いた。
事件で重傷を負ったヴァロア卿だったが、腐巫女の治療もあり今は全快している。

「まずは諜報部隊の方なのだが、我輩は此度、諜報長官の位を廃止しようと思う。」

ロサンスの言葉に集まった幹部達は動揺を隠せなかった。
しかし、腐巫女ら諜報部隊の面々だけは落ち着いていた。

「あのような事件こそ起こりましたが、我々にとって長官は亡きヴァンダル卿以外あり得ません。我ら諜報部隊は総長のお考えに賛成です。」

腐巫女が部隊を代表してそう発言した。
諜報長官を廃止するという事は、今後諜報部隊は総長の直轄となる。
すなわち、ハンター協会から総督のポストが一つ消えるということになるのだ。
これにまたざわめきが起こったが、ロサンスは彼女の言葉にしっかりと頷いた。

「では、フレイム支部長の後任人事に話を移そう。」

これが、今日一番の議題になることは間違い無かった。
オーエンの死が公表された後、人々の関心はその後任人事に集まった。
フレイム支部長のポストは事実上の協会のナンバー 2 である。
大体の皆の推測は、アクアスのウィンザー卿が就任するのではないかという結論になっていた。
ヴァロア卿は実力もあるが、やはり年齢的にまだ若い。 従って人々の関心は結局はウィンザー卿の後釜として、誰が総督に昇格してアクアス支部長に任命されるのかに移っていった。
ところが。

「我輩は、オーエンの後継としてフレイム支部副総督のライス・バーグを指名したい。」

会議室は三度目のざわめきが起こった。
ウィンザー卿でもなければヴァロア卿でもない。
ロサンスは他の副総督の中でも最も若く、新参者であるバーグを指名した。
「何故あんな若造を」と言わんばかりの視線が、バーグに殺到する。
元々サンドランド支部長としての人事にも協会内では不満が燻っていた。
ロサンスやオーエンが彼を認めていても、妬みに近いその不満は消えなかったが、事件の後でもそれは変わらなかった。
いっそのこと辞退してしまおうと、バーグが立ち上がろうとしたその時だった。

「私は総長のお考えに賛成ですわ。」

そう言ったのはウィンザー卿だった。
彼女はバーグに向かってにこりと笑いかける。

「僕も異議はありません。」

続いたのはヴァロア卿だった。
半分立ち上がっていたバーグを、隣に座るアポロンが押しとどめる。

「亡きオーエン卿が終焉の神剣を託したのは、バーグ卿です。それは彼が剣を正しく扱う為のふさわしい実力を持っているとオーエン卿が判断したからでしょう。先の事件からも明らかなように、僕は彼には総督として十分な実力があると考えますが?」

バーグは腰の神剣に目をやった。
あの事件の後、ロサンスは回収した終焉の神剣をバーグに譲り渡した。
さらにウィンザーが言葉を繋ぐ。

「彼はこの数ヶ月、私を補佐してくれましたが、支部長としても十分職務をこなせると考えます。何よりバーグ卿はフレイム支部の“副総督”。……次の総督には副総督を昇格させる。一番自然な流れでしょう?」

二人の総督の言葉に会議室は静まり返った。
彼らの主張には文句の付け所がなかった。
あらゆる点において、総督に相応しいのはバーグだったのだから。

「ライス・バーグ副総督。」
「……はい。」
「君をオーエンの後継として、総督に昇格させ、フレイム支部長に任命する。」

ロサンスの言葉に、バーグは決意した。

「謹んでお受けいたします。」

この終焉の神剣と共にオーエン卿の意思を継ごう、と。