外伝第1章 呪縛の継承者

「どうしたのだ?」

空気が変わった。
中庭を見下ろすアポロンはそれに気がついた。
結界の中の世界は、こちらの世界からすれば時間が止まった状態にあるため、 外からは何の変化も起こっていない。
だが、アポロンは確信した。

「戦いが、終わったようです。」
「何?」


第25話『彼が望んだ世界』

フレイム王国 ハンター協会 ────

「これはどうすれば……?」
「それは、私が印を押すからすべて執務室へ。ああ、それはエアリアへ送付して頂戴。」
「はっ!」

業務が停滞していたハンター協会では、現在不在状態にあるオーエン卿に代わって代理の総督が指示を出していた。
アクアス王国のウィンザー卿である。
ウィンザー卿は腐巫女の依頼を受け、表向きはまだ生きているオーエン卿に代わって、 事態が明らかになるまで臨時でフレイム支部の指揮をとっている。
エアリアのヴァロア卿もフレイムにいる為、現在はエアリア・アクアス両支部に総督がいない状態ではあるが、各支部には事務を監督する総監がいる為、さほど問題にはならない。
しかし、フレイム支部の場合は総監のアポロンも共に不在である為、腐巫女はウィンザー卿をわざわざ呼び出したのである。

「助かりました、総督。ありがとうございます。」
「これも私の仕事よ。……それより、ヴァロア卿は無事なの?」
「はい。安静にしていれば大丈夫でしょう。」
「そう。これ以上、私も仕事を増やしてほしくないしね。」

そんな冗談を言いながらも、ウィンザーは次々とたまっていた書類を処理していった。
これで、ここは大丈夫。
腐巫女はそう思うと、再び窓から城の方へと視線をやった。


フレイム王国 ラデルフィア城 中庭 ────

「……酷い戦術だな。」
「そうかもしれません。」

バーグの剣はヴァンダルの右腕を切り裂いていた。
しかし、一方でバーグも【天地創造】によって巨岩で足を切り、また何度も雷に打たれて全身に火傷を負っている。
わが身を顧みず突撃した結果である。

「俺の負け、だな。」

血が流れる右手は、ついにその力を失い、握り締めていた終焉の神剣が大地に転がった。
終わった。
ヴァンダルを殺さず、止める事ができた。

「ったく……あまりに無茶苦茶過ぎて、防御の構えも取れなかったぜ。」

そういうヴァンダルの顔には、やはりいつもの笑みが浮かんでいる。
が、腕の痛みで少し表情が曇った。

「君の頑固さを思い知ったよ。まさか、あの状態で突撃を続けるとはな。」
「あれしか、私には無かったですから。」
「……そうか。」

ヴァンダルは出血する右腕を庇うようにしながら、大地にそのまま倒れこんだ。
それを見たロサンスが時の結界を解除する。

「よくやったな、バーグ君。」
「はっ、ありがとうございます。総長のお力添えのおかげです。」

「バーグ卿! 総長様!」
「ロサンス老、無事か!」

中庭に走ってきたのはカナン王とアポロンだった。
カナンの指示だろうか、次々とフレイム軍の兵士が武装して中庭に入ってきた。
二人は倒れているヴァンダルに目をやった。

「……ヴァンダル卿。」
「確かに、余はお前を見たことがある。……協会にスカウトされた兵士、か。」

倒れているヴァンダルは二人の言葉には答えなかった。
そうしている間に、フレイム兵は中庭を包囲していた。
剣を鞘に納めながら、ロサンスが言った。

「ヴァンダル。我輩はバーグ君に従って、お前を拘束した。今後の処遇については、すべてバーグ君に任せるつもりじゃ。」
「総長! 私でよろしいのですか?」
「我輩は君に従うと言ったはずだ。好きにするといい。」

そのやりとりを聞いたヴァンダルはニヤリと笑いながら、

「全く甘いやつらばっかりだな。後悔しても遅いっていうのに。」

と呟いた。
だがロサンスもバーグもその言葉を聞いてはいなかった。

「老、この男の護送は我が軍に任せてくれ。」
「よろしいのですか、陛下?」
「ああ。その代わり、後であの話を聞かせてもらうぞ。」

この言葉にロサンスは「わかりました」と大きく頷いて見せた。
兵士たちにいくらかの指示を出していたアポロンがバーグの所へと戻ってくる。

「バーグ卿、ヴァンダル卿はひとまずアクアス王国へ護送します。」
「アクアスに?」
「オーエン卿亡き今、フレイムに彼を拘置するのは危険です。情報によれば、ヴァロア卿はあの後重傷を負って現在治療中とのことで、エアリアもダメでしょう。となれば、アクアス支部に頼るしかありませんからね。」
「ヴァロア卿が……そうか、わかった。ウィンザー卿にすぐに連絡をとってくれ。」

ヴァンダル卿はハンター協会総督の地位にある実力者。
万が一、彼が再び暴走した時に止める事ができるのは同じ総督レベルの者だけだ。
オーエン卿、ヴァロア卿を除けばそれができるのはアクアスのウィンザー卿しかいない。

「そのウィンザー卿ですが、腐巫女からの要請で現在フレイム支部の指揮をとっているようです。」
「そうか。ならば好都合だな。」
「はい、ではすぐにウィンザー卿に伝えます。」

アポロンは一礼すると、城のほうへと消えていった。
バーグは改めてヴァンダルに向き直り、彼の顔を見る。

「俺の護送の準備は整いそうだな。」

この冗談めいた口調で話しかけてくるヴァンダルが、オーエンを殺害したあのヴァンダルと同じ人物であるとはバーグには信じられなかった。
空を見つめながらヴァンダルは続ける。

「……俺はな、見たいものがあったんだよ。」
「さっきもそう言っていましたね。」
「ああ。俺が昔盗み見た古文書の話だ。……“魔神”って知ってるか?」
「“魔神”ですか。聞いたことはないですが。」

ヴァンダルは話した。
神と同じ序列にありながら、“魔”の烙印を押されたその存在。
すべてを喰らい、大地に“無”を与える大いなる存在。
しかし、その力を人間たちに恐れられて遥か昔に封じられてしまったのだと。

「おかしな話だが、その魔神は元々この世界の存在じゃねぇらしい。人間たちが、奴を求めて呼び出し……そしてその人間たちによって封じられた。」
「……。」
「哀れなもんだろ? 俺はそいつを見てみたかった。そして、力を借りたかったのさ。この世界をリセットして、誰も犠牲にならない“世界”を作る為にな。」
「だから貴方は総長の位について、協会の力を利用しようとしたのですか? しかし、今回貴方のした事には“犠牲”が出た。私はそれを許すわけにはいきません。」
「ああ、俺の処遇は君が決めるんだったな。ま、死刑にでもなんでもしてくれていいぜ。」

本当にこの男は自分の命がかかっているのだとわかっているのだろうか。
そう思わざるを得ないくらい、ヴァンダルの回答は軽かった。
だが、バーグの意思は決まっていた。

「貴方を死なせるつもりはありません。貴方には牢獄の中で罪を償ってもらいます。」
「俺を殺さないだと? 俺がこれまで何をしてきたのか分かっているのか?」

分かっている。
ブルクントを操り、砂漠の国の人々の希望を打ち砕き、オーエンという大きな存在を奪い去った。

「だからこそ、です。貴方には必ず自分のしてきた事を後悔させる。」
「相変わらず甘い奴だな。」
「それならそれでも構いません。私は私の取るべき道を自分で選びます。」
「そうか、なら俺が口を出すことじゃねぇな。」

ヴァンダルは笑った。
今までで一番の大笑いかもしれなかった。
笑い声は中庭中に響き渡る。

「ならば選んだ道を後悔するんだな。」
「何だって?」

気づいたときには遅かった。
ヴァンダルは素早い身のこなしで、終焉の神剣を回収していたフレイム兵の後頭部を左手で殴りつけ気絶させると、倒れた兵士の手から神剣を奪い去った。
それを見たロサンスの顔が一瞬で青ざめる。

「まずい、まだこの城には先ほどの陣が敷かれておる!」

ロサンスの言うとおり、先ほど時の結界の時差のトリックによって発動に失敗していた【滅亡の時】の陣は、今もなおラデルフィア城に敷かれたままだった。

「俺を殺しておけば、君は多くの命を失わずに済んだのにな。」
「ヴァンダル卿……!」

バーグだけでなくロサンスも再び剣を抜いたが、遅い。
後はヴァンダルが呪文を一言唱えればすべては終わるのだから。

「だから言っただろ、バーグ君。きっと君はその甘さに滅ぼされる、ってな。」

奥義開放・【滅亡の時】
ヴァンダルの冷たい低音が中庭に響いた。
その瞬間、敷かれていた陣は禍々しい紅の光に包まれた。
紅い光の中で、バーグは叫ぶことしかできなかった。

「やめろ……! 止めてくれ……!!」

無常な紅い光がラデルフィア城を包み込んだ。