「……止血は終わったわ。でもこの様子じゃ、意識は戻っても動けそうにはないわね。」
ヴァロア卿は腐巫女の治療で一命をとりとめた。
しかし、傷を負ったまま住民を避難させるべく体を酷使したため、彼の体には激しい疲労が蓄積されていた。
「アクアスのウィンザー卿に連絡を取って。“緊急招集”だと。」
「はっ。」
腐巫女は部下にそう命じて、窓から外……ラデルフィア城の方角を眺めた。
「もう、引き返せないとこまで来たってわけか。」
彼女の脳裏には上司であった人物の顔が浮かんでいた。
フレイム王国 ラデルフィア城 中庭 ────
「卑怯な! 無関係な人間を巻き込むおつもりですか!?」
「卑怯、か。」
ヴァンダルはバーグの言葉を鼻で笑った。
その間にも終焉の神剣の力が、禍々しい紅のフィールドを展開していく。
「“無関係な人間”を巻き込むのは、ハンター協会の得意技だろ?」
ロサンスの表情が険しくなる。
その仕事の意味を知らず受注したハンターがたくさん死んでいった。
罪の無いハンター達を犠牲にしてまで叶える夢なのか、それは?
先ほどのヴァンダルの話がバーグの頭の中によみがえった。
彼の言うとおり、ハンター協会はこれまで何も知らないハンター達をロサンスの夢に巻き込んできた。
だが、しかし。
「だからといって貴方がやろうとしている事を許すわけにはいかない……!」
「それでだ、バーグ君。取引をしようって言ってるんだ、俺は。」
ヴァンダルはいつもの表情で続ける。
「そこの爺さんの命と、無関係な城の人間の命……取引といこうじゃねぇか。」
中庭から紅の陣が次々と広がっていく。
円状に広がる陣はやがて城全体を包み込んでいくだろう。
城中の何百人という人間が命を落とし、フレイムは国王カナン一世を失い、国家機能は麻痺する。
そうなれば他国が野心を燃やしかねない。
もはやフレイムだけでなく、混乱はインナーフィーア全体に及ぶことになる。
それだけは避けねばならない。
しかし、目の前の老人を見殺しにすることもできない。
ヴァンダルの話から、ロサンスに対する疑問も確かにバーグの心の中にはあった。
だが、これまでずっとあこがれ続けてきた、古の名将から学びたいこともたくさんある。
ハンター協会という世界になくなてはならない存在をまとめる彼を、失ってはいけない。
「どちらの命も、失うわけにはいきません。私は最後まで戦います。」
バーグの答えにヴァンダルは眉をひそめた。
「さすがは優しいバーグ君だ。誰も死なせたくないし、死なせない……か。が、そんな甘い考えが通用するとでも思っているのか?」
「……難しいと思います。ですが、私は可能性がある限りあきらめない。」
「やれやれ。なら、仕方ないよな?」
ヴァンダルは神剣を構えなおす。
剣身は例の禍々しい紅光を帯びていた。
「交渉は決裂だ。まだ陣は小さいが……国王のいる場所までなら十分届く。自分の選択を後悔することだな、バーグ君。」
「させない……!」
バーグは剣を抜き、ヴァンダルに殺到する。
これは賭けだった。
ヴァンダルが【滅亡の時】を発動させる前に、彼を倒せるかどうか……?
その為には俊足を活かしての第一撃が重要だった。
一撃で仕留める事ができれば、彼の作戦は失敗に終わる。
多くの民衆の命も、ロサンスの命も、奪われずに済む。
だがしかし、ヴァンダルはそんなバーグの気持ちを嘲り笑うかのように、軽い身のこなしでそれをかわした。
身を翻してバーグは第二撃を放つが、それは終焉の神剣で食い止められた。
鈍い金属音が中庭に響き渡る。
失敗、してしまった。
「俺も伊達に禁軍にいたわけじゃないんだぜ? さ、終幕ってやつだ。」
「くっ……!」
ヴァンダルはバーグの剣を終焉の神剣で受け止めたまま、呪文を口ずさむ。
「奥義開放、【滅亡の時】……!」
三人の周囲に広がっていた魔方陣が、紅の光を放つ。
……終わった。
ヴァンダル卿を止めることができなかった。
また、自分の力不足で多くの人々の命が奪われた……!
だがそう思ったバーグの視界には、信じられない光景が広がっていた。
何かが変わったわけではない。
逆に、何も変わらなかったことが信じられなかった。
【滅亡の時】は確かに発動した。
本来ならば、陣の敷かれていたラデルフィア城は消滅していたはずだった。
しかし城は何も起こっていなかったかのように、そのまま存在している。
「ど……どういうことだ!?」
ヴァンダルも事態を把握することができず、戸惑いを隠せなかった。
すると今まで黙り込んでいた老人が笑い出す。
「不思議か?」
「……! まさか!?」
周囲を見渡すと、紅の陣は途中で不思議な壁に遮られていた。
その壁の先の世界は先ほどまでと何も変わっていない。
だが、バーグは辺りで変わっていることに一つだけ気がついた。
中庭の時計が止まっている。
最初にヴァンダルが現れたときから、ずっと。
そこでバーグもようやく答えにたどり着いた。
初めて協会の支部長室でロサンスと出会ったときのことを思い出したのだ。
我輩は“時の調停者”との契約で不老の身となった。
“時の調停者”。
ロサンスに流れる時間を止めている、その存在を。
恐らくその存在は肉眼では確認できないが、この中庭にいるのだろう。
「その結界のこちら側と向こう側では、時間の流れが異なってる。正確に言えば、我輩たちのいるこちら側は時間が止まっている。」
「そうか……! 向こう側には俺の……神剣の命令が陣に伝わっていない。だから結界の外側では発動しなかった。そういうことか?」
「その通りじゃ。」
何故ロサンスがこの一見危険な王城の中庭を戦場に選んだのか、ようやくバーグは理解できた。
こうして時の結界を張ってしまえば、ヴァンダルは無関係な人間を巻き込むことはできず、
更に彼は逃げることもできない。
決着をつける為には、結界を張ってヴァンダルを閉じ込めることが最も重要だった。
だが、結界を張る作業は時間がかかる。
それを黙ってヴァンダルが見逃すわけもない。
だからこそ、彼を油断させる必要があった。
まず、戦場となる中庭やその周辺から人を遠ざけるように、アポロンを通じてカナン王に依頼して、ヴァンダルを誘い込んだ。
そして予想通り、【滅亡の時】の陣を張るヴァンダルに、バーグが必死で抵抗するのも作戦通りだったのだろう。
何も知らされていなかったバーグは、演技ではなく純粋にヴァンダルを止めようと斬りかかった。
これ以上に時間稼ぎになるものはなかったのだ。
もし、あらかじめこの事をバーグが知っていたならば、どこか心の隅で結界のことを気にしてしまっていたかもしれない。
ヴァンダルがその小さな動揺に気づかないはずはなく、ロサンスの作戦を看破していただろう。
結界は張れなかったはずである。
「敵を欺くには、まず味方から。基本中の基本じゃよ。」
「はっ、見事にやられちまったな、こりゃ。」
作戦は失敗し、二対一と不利なうえに逃げることも封じられている。
それでもヴァンダルの表情は崩れなかった。
「さて、今度はこちらから行くぞ……!」