外伝第1章 呪縛の継承者

東の大国・エアリア。
エアリア王家とそれに古くから従ってきた貴族達によって統治されるこの国は、 インナーフィーアでも最大の領土を誇る。
他の国とは違い、エアリアでは国土が王都と5つの領土に分けられていて、 その領土は国王から委任された5人の諸侯によってそれぞれ統治されている。
バーグの最後の相手となるドラコン・トラシズム。
彼の所属するシドン領は、エアリアの北端に位置し、現在はガリア大公によって治められている。
ガリア大公は勇猛な武人としても有名で、彼から部隊を一任されるトラシズムは相応の実力を持つ。
ロサンスも絶賛する、剣術に秀でたバーグが勝つか?
東国の軍事を司るガリア大公の腹心、トラシズムが勝つか?

第04話『歩む道』

「これは……ちょっと面倒な事になってきたなぁ。」
「悠長な事を言ってられるのも今のうちだぞ、バーグ殿。この【メテオ・シャワー】の生み出す隕石はまさしく本物! マナの結晶と侮っては死ぬぞ?」
「隕石……か。」

バーグは空中に結集つつあるマナを見やった。
もう、肉眼で確認できる程にまで。
しばらく考え込んでいたバーグだが、いよいよ腰にさしていた剣を抜く。

「とうとう抜剣したか! いいぞ、かかってこい! ただし、隕石の雨を抜けられたらだが?」
「隕石の雨を抜ける? そんな必要はないと思いますよ。」
「馬鹿を言え! ……ならば、そのまま潰れるといい!」

マナの塊は、不思議な雲状になっていた。
雲が怪しげに光ったかと思うと、そこから隕石が猛スピードで降り注いでくる。
轟音が響き渡り、大闘技場はその衝撃で地震に襲われた。

「そ、総長様! ご無事ですか?!」
「我輩は無事だ。年寄り扱いしてくれるな、アポロン。しかし、あれほど威力の大きいエンチャントをいとも簡単に発動させるとはな。 あのトラシズムという男も侮れぬようだな。……何か、情報はあるか?」
「シドンの領主であるガリア大公は王国きっての勇猛な武人で、彼から一部隊を任せられるという事は王国の中でも有数の軍人であるという事だそうです。確かにあれだけのエンチャントを扱える兵はそうはいませんね。」
「シドン領、か。」

かつてロサンスがまだ将軍職にあった頃、フレイムとエアリアは政治的に対立していた。
そこでフレイム王国はロサンスにエアリア遠征を命じ、 結果ロサンスはシドン領での戦いに勝利してこれを制圧、 エアリアと和議を結んだが、事実上フレイム側の勝利となった。

「あの卑怯な男が治めていたシドンの主が、今では勇猛な武人だとはな。」
「はい?」
「いや、……気にするな。」

いつになく真剣な表情な総長に、アポロンはそれ以上の質問することはしなかった。
再度大きな衝撃が客席に伝わって観客が悲鳴をあげる。
アポロンが戦場に視線を戻すと、そこは巨大な隕石で埋め尽くされていた。
それでもまだ、隕石の雨は止もうとしない。

「降参すれば、命までは奪うつもりはなかったのだがな。」

トラシズムが隕石の雨を見ながらぼんやりと呟く。
雨が降り始めてからバーグの姿は消えてしまった。
と、その時だった。

「まだ死んでませんよ。」

そんな一言が、隕石の降り止まぬ戦場から微かに……だがはっきりと聞こえた。
声がした方向をトラシズムが振り返ると、地面に横たわっていた隕石が真っ二つに割れる。
否、切れた。

「ば……馬鹿な……隕石を切っただと……?」
「隕石って言われても、所詮は巨大な石です。多少硬くても、切れない程ではありませんでしたよ。」
「なるほど。よもやこれほどの“剣豪”だったとは……噂に違わぬ強さを持っているようだな。」
「それほどでも。」

バーグは剣を構えながら確実にトラシズムに近づいていた。
目の前にある障害物は、全て切り伏せて。

「見事なくらい、ぱっくりと真っ二つになってますね。」
「うむ。あそこまで綺麗に切るのは至難の業だろう。腕力だけではできぬ。バーグ君の敏捷さがあってこその剣術だ。」

ライス・バーグの強さの理由。
それは、決して腕力だけで片付くものではない。
俊敏な動き、そしてその冷静な判断力と実戦を積んできた経験。
これら全てがバーグを助け、力となっているのである。

「くっ……速い!」
「さ、終わりにしませんか? トラシズム殿。」
「まだだ! まだ俺は負けるわけにはいかない! 俺は大公閣下より名誉あるシドン軍の一部隊を任された男……。 閣下の名にキズをつけるわけにはいかないのだ!」

トラシズムは大きく後ろへ跳躍した後、何やら呪文を唱える。
その瞬間にずっと降り続いていた隕石の雨が止んだ。
バーグは最後に落下してきた隕石を切り落としながら、トラシズムを警戒して前進を止める。

「バーグ殿。貴殿は誠の強者だ。それは認めよう。」
「……。」
「だがな、俺には“敗北”は許されない。【メテオ・シャワー】が通じなかった以上、最後の切り札を使わせてもらおうか。」
「切り札、ですか。」
「そうだ。俺の全てとも言えよう。」


隕石の雨が止み、パニックに陥っていった観客達は再び戦場に注目していた。
いや、そうすることしかできなかった。
もはや観客は二人の戦いに完全に引き込まれていた。

「……どうやら、あのエンチャントは前座だったようですね。」
「うむ。シドンの大公から信頼されておる実力は、別にある。そういうことか。もしや、奴は……あの一族の者、か?」
「あの一族?」
「エアリアには古くから不思議な術を操る一族がおってな。道具に籠められた魔力を、大気中のマナを用いて発現させるエンチャントとは違い、己の気を自然と一体とすることにより強大な力を得る……。もし、あやつが一族の血を受け継ぐものであれば、バーグ君は危ないやもしれぬ。」
「そ、そんな。」

ロサンスが言った事は、これまで全て的中している。
それだけに、アポロンには今の老人の一言は信じがたい事だった。
強大なエンチャントにより発現した隕石の雨をも切り崩したあの“剣豪”が、 その一族に伝わる術には破れるなんてことがあり得るのだろうか。
アポロンはただ戦場を見守る事しかできなかった。
他の観客と、同じように。


「トラシズム家はな、バーグ殿。エアリアに古くから存在する一族なのだ。ある、“秘伝”を伝え守り抜いてきた一族だ。」
「“秘伝”?」
「そうだ。今から貴殿にそれをお見せしようと言っているんだよ。俺達は、エアリアでは“鎮守人”の一族と呼ばれている。」

鎮守人。
バーグはその名を以前聞いたことがあった。
彼はロサンスに憧れ、二百年前のフレイム王国によるエアリア遠征の文献を読んでいたのだ。
フレイムの軍事記録は、軍人階級に与えられる特権によってでしか閲覧は許されない。
だから、バーグは軍人になった。
彼がフレイム軍に所属したのはその文献を調べるためでもあった。
過去の戦いについて記録しているその文献によれば、 シドン領での戦いでフレイム軍はエアリア軍を圧倒していた。
しかし、エンチャントとは違う特殊な力を持つエアリアの二人の兵士によって、形勢は一時逆転される。
その二人のうちの一人が、“鎮守人”であったと記録されている。
恐らくはドラコンの祖先にあたる人物なのだろう。

この鎮守人を打ち倒したのは、他でもないフレイム軍総大将アドレク・ロサンスであった。
そういう記録もまた、文献には残されていた。

「そうか……貴方は、あの“鎮守人”の一族でしたか。」
「ほう、我らのことを知っていたか。ならば当然、鎮守人の扱う術の事もバーグ殿はご存知ではないかな?」
「ええ、まあ。文献で読みました。」

トラシズムが、怪訝な表情になる。
文献で“秘伝”の事を知っているのなら、もちろんその威力を知っているはず。
なのにこの男は平気な顔をしている。
そう言いたそうな表情だ。

「今なら、まだ間に合うぞ。降参する方が身のためだ。いくら名高い“剣豪”でも、この術は破れない。これを破ったのは、古の名将ただ一人……。」
「私は退く気はありませんよ。」

きっぱりとバーグは言い放った。
その顔に迷いはなく、バーグは本気だった。

「何故だ!?」
「私は、その名将を目標として彼の足跡を辿って今日まで生きてきました。いつか彼の歩いた道を越えられるようにと。軍に所属したのも、この闘技場で記録を塗り替えたのも、その為です。そして、私は彼に認められた。夢かと思うほど驚きましたけどね。」

トラシズムは首を傾げていた。
古の名将は、もう死んでいる。彼は歴史上の人物なのだ。
そう、思っていたからトラシズムは首を傾げた。
鎮守人を破った名将が不老となって、観客席で試合を見ているなどとは知らなかったからだ。

「そして、今日。鎮守人の貴方を倒せば、私はロサンス将軍の辿った道を、歩く事ができる。」
「……なるほどな。それで、退けぬと。そういうのだな。」

バーグが頷く。
彼の目は、曇りなく澄んでいた。

「決着をつけましょう、鎮守人殿。」
「よかろう! それならば手加減はせんぞ!」

名将はその様子をじっと見守っていた。
自分の歩んだ道を、二百年後に若者が歩もうとしているその姿を目に焼きつけて。

「来るがいい、バーグ君。我輩のいる場所へ。」