外伝第1章 呪縛の継承者

「総長は楽しい人事を考えたようだな。」
「そうみたいだねぇ……どうするつもりなのぉ?」
男は暗い部屋の中でニヤリと笑って見せた。
「ようやく、“計画”を始める時が来た。……同胞達に伝えろ。」


第06話『突撃』

「天照神威は彼らの信じる“神”の力を借りる秘伝じゃ。」
「“神”の力、ですか。」

アポロンは多くの神の名を聞いたことがある。
当然、地方によって宗教は違うが、多くは式神や精霊を神とするものが多い。
その中でも最も多くの人々が信じる神とは、やはり水竜ガノトトスだろう。
東国アクアスを中心とする水竜神団の活動もあって、 幻の式神・水竜ガノトトスは世界中で最も信仰される神の代表格といえるかもしれない。
しかし、ロサンスの答えは違っていた。

「彼らにとっての“神”は、東国の民の信じる水竜神ではない。自然を操る鎮守人一族が信仰するのは、自然の頂点に立つ神じゃ。」
「自然の頂点……。」

闘技場は突如、眩い光に包まれた。
その光は戦場のトラシズムから放たれている。

「これは……! 光……!?」
「我らが秘伝、天照神威……それは鎮守人一族が崇める神の御力をお借りするものだ。」

ここにきてバーグはようやく、軍人時代に読んだ文献の内容を少し思い出した。
古の名将が苦しんだ鎮守人の秘伝、天照神威。
その、正体を。

「我らが神、天照大神は自然の頂点の化身とされるのだよ。」

言いながら、両手を天へと突き出すとさらに眩い光がトラシズムを覆った。
だがその光は決して嫌な眩さではなかった。
どこか体中が暖かくなるような、そんな光。

「自然の頂点……すなわち太陽の化身、というわけですね。」
「ほう? よくご存知だ。お得意の文献かな?」
「ええ。」

万物の頂点に立つのは、全ての者を照らし導く光……太陽。
鎮守人一族はその化身たる天照大神の力を身に宿す事ができる。
それが、天照神威

「ってことは、トラシズムは太陽の力を宿しているということですか?!」
「その通りじゃ。太陽は気が遠くなるほどの距離があるからこそ、我らを暖かく照らす。しかし、あれ程近くに太陽があったとしたら……どうなるじゃろうな。」
「そんな悠長な……!」

次第にトラシズムが放つ光は、紅蓮の炎と化していく。
天照大神の力が鎮守人に流れ込む度にそのスピードは増していった。

「穏やかじゃありませんね、太陽も。」
「万物を照らし、護る光も、時には全てを焼き尽くす牙を剥く。それだけのことだ。」

斬りかかろうとしても、トラシズムは一瞬の隙も見せない。
だからといって何もしなければ紅蓮の炎はこの戦場を覆うだろう。
何か、策はないのか。
バーグは必死に戦略を練っていた。

「無駄よ、無駄。さすがに太陽そのものの力は持たぬが、貴殿を焼き尽くす程の火力はあるのだ。策など練りようがなかろう? 諦めて降参なされよ。」
「……そうですね、策など練りようがない。」

静かに剣を構える。
闘技場中の観客は驚きを隠せなかった。

「何をするつもりだ? この炎は、切れぬぞ。」
「わかっています。……策が無い私には、もはやこれしか残っていません。」
「馬鹿な! 何故降参しない!? いくら御主が真の剣豪とは言えど、天照神威は破れないのだ!」
「それも承知しています。かつてロサンス将軍も破る事のできなかった秘伝なのですから。」
「!?」

トラシズムはバーグの言葉に驚く。
名将ロサンスは天照神威を破った。だからこそ、鎮守人は敗北し、フレイムが勝利した。
そう思ってきたからである。
だがバーグの言葉はそれとは正反対だったのだ。
驚いたのはバーグとて同じ事だった。しかし、あの文献には確かにそう書かれていた。

「総長様、彼の言っている事は本当ですか?」
「……うむ。我輩は天照神威を打ち破る事ができなかった。」
「で、ですが! 総長様はあの戦いで鎮守人を破ったはずでは!」
「両方とも事実だ。」

ロサンスはかつて鎮守人の秘伝・天照神威を破れなかった。
しかし、彼は鎮守人を倒してフレイムを勝利に導いた。
これが両方とも事実なのだというのだから、アポロンやトラシズムが混乱するのは仕方がない。
あの戦いには一体いかなる真実が隠されていたのだろうか。
バーグは既にその答えを知っていた。

「……わかった。貴殿が敬愛するロサンス殿さえ破れなかったというこの秘伝を前にしても、貴殿が降参しないのならばそれでも構わない。本当によいのだな?」
「ええ。私は降参しません。勝機は、あります。」
「天照神威を破らずしてこの俺を破るというのか。よかろう! ならば見せてもらおうか!」

トラシズムは周辺の炎を一点に集中させた。
両手の中に小さな球体となった紅蓮の炎は、その色を白へと変える。

「秘伝! 天照神威!」

そう叫んだと同時に手の中から炎は解放される。
津波のように炎がうねりをあげてバーグへと向かって進んでいく。
いくらバーグが瞬足の持ち主とは言え、これは回避のしようがない。
ところが、彼は剣を構えながらその瞬足をもって津波へと突っ込んでいった。

「馬鹿者が。そんな事をすれば灼熱の業火に身を焼かれるだけだぞ!」

バーグはそんな声にはかまわず、剣の構えを変えた。
独特の構え。
観客席にいたほとんどの者がその構えに見覚えがなかったのだが、ロサンスだけは違っていた。

「あれは……。」
「総長様! ご存知なのですか?」
「うむ。よく我輩の戦術を研究しておる。あの戦いで天照神威に追い詰められた我輩は、死を覚悟して、あの構えを取った。」
「あの構えは、一体……?」

その瞬間、観客席から悲鳴があがった。
バーグが灼熱の中へと身を投じたのである。
炎の中は、誰も見ることなどできはしなかった。

「……立派であったぞ、バーグ殿。貴殿は誠の戦士。俺も見習わなければならんな。」

トラシズムはそう言って、審判席を見やった。
審判はあわてて試合終了のゴングを鳴らそうとしている。
だが審判の手はゴングを鳴らす直前で止まった。
何事かとトラシズムが振り返ると、そこには。

灼熱の業火に身を焼かれながらもなお、突撃を続けるバーグの姿だった。

あの独特の構えから、バーグは剣を一閃させた。
そのあまりの速さにトラシズムは防御の姿勢をとることができなかった。

「こ、これは一体、どういう事だ……!」
「策が……ない私には……これしか……道が……なかったのです。」

剣には、天照神威の炎が宿っていた。
トラシズムは深い傷を負い、自らの秘伝に焼かれながら、その場に崩れ落ちた。
審判が試合終了のゴングを鳴らす。
その直後、バーグもトラシズムに覆いかぶさるように倒れた。

「アポロン。今すぐオーエンに連絡を取るのだ。この業火、ただの水では消えまい。」
「わ、わかりました。すぐに連絡します。」

場内は騒然となった。
救護班が急いで駆けつけ、倒れていた二人を救出する。
二人は命に関わる重傷を負った状態だった。
業火に焼かれたバーグは全身がボロボロになり、 渾身の一撃を受けたトラシズムは大量に出血し、傷口からさらに大火傷を負っていた。

「たった今オーエン卿に連絡をとりました。すぐに部隊をこちらへ派遣するそうです。それにしても、バーグ殿のあの技は一体?」
「剣術を極めし者だけが扱える奥義、【クロスソード】じゃ。受けた衝撃を加えてさらに強力な一撃を繰り出す、まさに諸刃の剣。」
「天照神威を受けることは必至。だから、それを利用しようと思ったわけでしょうか。」
「いや……最早そうするしかなかったのだろう。バーグ君の選択肢はなかったのだ。」

万策尽きたバーグは、降参するか、突撃するかの二択が残されていた。
だが彼は突撃を選んだ。
かつて同じ状況に立たされたロサンスに突撃以外の選択肢が無かったからだ。
バーグも、ロサンスと同じようにクロスソードでの一撃に賭けた。
上手くいけばトラシズムを倒せる。
一瞬でも遅れれば、業火に焼かれて死ぬ。
彼は自分の力を信じて突撃したのだ。

闘技場は興奮状態にあった。
これは間違いなく最も熾烈な戦いだっただろう。
そこへアルフォンス・オーエン率いる協会の部隊が到着し、 様々なエンチャントを使用して天照神威の炎を鎮火させる作業にかかった。
炎はおさまったものの、フィールドはメテオ・シャワーの跡で使い物にならなくなっていた。
闘技場の復旧作業はそれから三日間に及ぶ。

こうしてバーグは502連勝という偉業を成し遂げ、伝説のチャンプとなった。
しかしながら、この一戦で負った傷は大きく、バーグとトラシズムは2週間も動く事ができなかった。

これは、バーグがフレイム支部長となる二ヶ月程前の話である。