第2部 失われた島の冒険録

俺たちは、夢でも見てるのか?

さっきまで、どれだけ祈っても届かなかった三匹に……。
いとも簡単に、手が届いた。

……というか、殴った。

空から降ってきた戦士が。
それもげんこつで。

……俺たちは、夢でも見てるのか?

「痛っ!! 何するんだよっ!」

俺は、急に頬をつねってきた狗神をにらみつける。

「あー……夢じゃなかったじゃん。良かったね。」
「だから、人の心を読むなっての。」

でも、夢じゃないなら、現実だ。

誰にも止められなかったARMSが止まったのも。
空から降ってきた女戦士が、げんこつで殴り飛ばして止めたということも。


第20話『1/f』

ロドス王国 封印の祭壇前 ────

「あら、やりすぎちゃった? まだ普通のげんこつなのに~。」

ARMSを天から殴りつけた女性は、軽い口調でそう言いながら埃を払う。
とりあえず、怖い。
一体何者なんだよ……。

「お前たちっ!」

腐巫女さんが怪物たちに駆け寄っていく。
げんこつで昏倒した異形たちから、何か禍々しいものが抜け出していくのが見えた。

「あれは……」
「この島の、瘴気だ。この先の祭壇に封じられた邪悪な存在のな。」

俺の疑問に答えてくれたのは、黒衣の男性。
彼がポティーロさんの言う、「閣下」なのだろうとはすぐに察しがついた。
ロドスの人々を束ねる、ロータスさん。

「邪悪な存在、ですか。」
「ああ。アスダフも元はといえばその者の瘴気を浴び、奴の手に落ちた哀れな神官だ。」
「アスダフも!?」

ってことは、もともとは普通のロドスの人だったってことか?
俺はてっきりあいつが諸悪の根源なのかと……。

「じゃあさ、その瘴気ってのを止めることはできないの?」

狗神がロータスさんに尋ねる。
それはそうだ。そんな危なっかしいもん、垂れ流されては困る。

「できる限りの術を使って封じてはいるが、瘴気を放つ者があまりに強大な存在でな。
 完全に瘴気を抑え込むことはできていないのが実情だ。
 我が父と、大神官の力をもってしても、奴を封じきることはできなかった……。」
「でも、アスダフもARMSみたいに瘴気から解放できるんじゃないですか?」
「それは無理だ。アスダフは"喰われ"てしまっている。我らに救う術はない。」

……よくわからないことも多いけど、残念だ。
やはり、アスダフは倒すしかないのか?
もともと普通の人だったのなら、ちょっと戦いにくいよな……。

俺が悶々と考えを巡らせている間に、瘴気の抜け出た怪物はいつものARMSの姿に戻っていた。

「おっ。とりあえず "覚醒" は解けたっぽいね~。私の役目はここまでかな。」
「ちょ、ちょっと待ちなよ。アンタ、一体何者なんだい?」

この場にいる誰もが思う疑問を、腐巫女さんは直球勝負で投げつけた。

「私? んー……ま、いいじゃない。そんなことは。興味ないでしょ、誰も。」

いやいや!
ありまくりだよ!
この場にいる、全員がありまくりだっ。

「ほんと、お姉さん何者なの? ……しかも、何だか不思議と懐かしい匂いがするし……。」

狗神はいつものように、匂いをくんくんと嗅ぎ始める。
……相手は女性だからな、狗神くん。
俺、金が無いから訴訟沙汰はやめてくれよ。

「そりゃ、あんたにとっては "懐かしい" でしょうよ。」
「……えっ?」

意味がわからず目を丸くする狗神に、女性は祭壇の方を指さす。

「ところで、あっちは放っておいていいわけ?」

祭壇前のロドス兵たちがこちらに槍を向け始めていた。

「しまった、ARMSの乱入で忘れていましたわ……彼らを何とかしないと。」
「プルート、アイツらは何だい? 反乱軍かい?」
「彼らはロドス軍の兵士たちなのですが……アスダフに操られているようで。」

先頭に立つ指揮官の男が、こちらを見据えてきている。

「うーん……操られてるっていっても……」
「味方じゃないですかっ!? そんな人たちと戦うわけには……」
「しかし、彼らをどうにかしなければ、祭壇に向かうことはできません。」
「なら、再起不能にしない程度にボコるしかないねぇ。」

そんなバカな。
いくら何でもそんな器用なことできるかよ!?

「……帰ってきたようだ。」

やる気満々な腐巫女さんとプルートさんをよそに、ロータスさんは空を見上げていた。
「帰ってきた」って……誰が?
そんな俺の疑問は、どこからか聞こえてくる美しい音色にかき消されていく。

「これは……楽器の音色?」

丸みを帯びた美しい音色が響いてくる。
東の空からだ。

「あっ! 見て、あれ!」

二匹の龍が大空を翔けてこちらへやってくる。
あれは……ポティーロさんのバハムートだ。
もう一匹は初めて見るけど、恐らく同じように召喚した龍だろう。

「閣下! ただいま戻りました!」

辺りを包む美しい音色は龍の背から響いていた。
その背にはポティーロさんと、変な生き物。……あれは、鳥か?

「……遅かったな。クレアたちを止められるか?」
「お任せください! ……ペン太くん、頼みます。」
「まかせろーっ!!!」

ペン太と呼ばれた変な生き物は、その手に持つ楽器をかき鳴らす。
彼が持つのは、それはそれは見事な竪琴だ。
美しい金色の縁に色とりどりの糸が張り巡らされている。

……さっきから聞こえている音は、あの竪琴の糸を弾いたものだったのか。

「一体なんなんだい、あの珍妙な鳥は。」
「綺麗な音色ですね……私、何だか自然と涙が……。」

プルートさんは懐からハンカチを取り出して目頭をおさえる。
辺りに響き渡る美しい音と、あの変な鳥のコラボレーションは明らかなミスマッチだ。
……でも、この澄んだ音色は確かに胸中の琴線に触れてくるものがある。

感動しているのは、プルートさんだけではない。
ロドスの兵士たちや、アスダフに操られている者たちも音色に耳を澄ませるようにじっと立ち尽くしていた。

「んー……私は音楽とか芸術とか、そういうのはよくわかんないね。」
「あら、腐巫女さん。それは人生損してますわ。今度、私がダマスクスの……ホールに……。」

プルートさんはそう言いながら、身体をフラフラとよろめかせる。
おいおい、酔っ払いみたいになっちゃってるぞ。

「だっ、大丈夫ですか!?」
「どう……しちゃったの……かしら……。」
「プルート!?」

完全に意識を失ったプルートさんの身体を腐巫女さんが両手て抱えるようにして支える。
そして、顔を覗き込み……一言。

「……寝ちまってるじゃないか。」
「寝たのっ!? この状況でっ!?」
「お兄さん。周りをみてごらんよ。」

うわっ、なんだこりゃっ!?
狗神に言われて辺りを見回してみると、兵士たちも次々と意識を失って倒れていく。

「この音……魔力が込められてる。アレ、ただの楽器じゃないね。エンチャントが施されてるんだ。」

竪琴の音色は龍たちが祭壇に近づくほど響きを増していく。
たしかに油断をすると心の中で音色が大きく鳴り響いて、何も考えられなくなりそうだ。

……これがあの竪琴に込められたエンチャントの能力なのか?

祭壇の近くの兵士たちも次々と音色の魔力に囚われ、倒れていく。
そして、ついにあの指揮官にも音色が届いたようだ。

「……なんだ、これ……は……身体が重い……。」
「無理すんなー!!! 綺麗な音楽を聴いていると眠くなる!! 普通のことだー!」

指揮官は叫んでくる変な鳥に向かって一睨みしたが、抵抗はそこまでが限界だった。
フッと目の焦点が合わなくなったと思うと、そのままゆっくりと大地に倒れ込む。
気が付けば、祭壇の前には意識を失った人々の山ができあがっていた。

「見事。」

笑った。
ロータスさんが笑みを浮かべているところ、初めて見た……。

「この竪琴、友達が貸してくれたんだー!! 俺は友達が多いからなー!」
「さすがです、ペン太くん。助かりました。」
『あの雷の剣といい、ほんと何なんだか。これじゃ龍王様のメンツも丸つぶれだ。』
『……だから、何でそこで俺なのだ。まぁ……俺には傷つけずに相手の動きを止めるなんてことは、できんがな。』

バハムートともう一匹の龍はそのままロータスさんの前へと降り立つ。
龍王の背から降りたポティーロさんは、ロータスさんの前に跪いた。

「遅れました。ご無事で何よりです。」
「ああ。お前もな。」
「大陸でアスダフを仕留め損ない、閣下を危険にさらしたこと、お許しください。」
「それはいい。今後について協議する。クレアたちや操られていた兵の救護が必要だ。手を貸せ。」

そう言うと、ロータスさんは踵を返してロドス兵を集め始めた。

「皆さんもご無事で何よりです。この後の会議にも参加していただけますか?」
「もちろんです。」

ポティーロさんの呼びかけに、俺は頷いた。
……が。

「悪いんだけど、それはコイツを起こすの手伝ってもらってからでもいいかい?」

バツの悪そうな腐巫女さんの後ろ。
夢の国に旅立ったプルートさんの姿が、そこにあった。