第2部 失われた島の冒険録

「さあ、道を開けてもらおうか。」

ロドス島の西端・封印の祭壇。
その手前に陣を構えていたアスダフの兵たちは、ロドスの正規軍に追い詰められていた。
ワールシュタット平原はすでに制圧され、残るは祭壇前の本陣のみ。
だが、そこまで追い込まれていながら、降伏しようとする姿勢は微塵もない。

「……」

いや、そもそも彼らには感情もない。
アスダフの術中にいる間は、彼らは自我を失ったままだ。
感情もない兵士たちが自ら降伏を選択することなど、あり得なかった。

「呼びかけは無駄なようです。……閣下、御命令を。」
「悪いな、クレア。力づくでも通してもらうぞ。全軍、攻撃を開始せよ! 封印の祭壇を奪還する!」

ロータスが号令とともにロドス王国旗を空高く掲げた。
まさに、その時だった。

「閣下、これはまさか……!?」
「タイミングが悪いな。帰ってきたか。」

突如現れた闇が封印の祭壇を覆いつくしていく。
その闇の中からゆっくりと現れたのは、アスダフだった。

「大陸へ行ったものと思っていたが、存外早く帰ってきたな。」
「……我が力を封じているのは貴様だな。」
「ああ、そうだ。俺が生きている限り、貴様の力は完全には戻らぬ。」
「ならば、殺すまで。」

アスダフは会話を早々に打ち切ると、素早く呪文を唱える。
祭壇を覆う闇の中で禍々しい紅光が輝き、二つの門が現れた。

「さあ、"絶望"せよ。」


第13話『にじゅうまる』

エアリア王国 ダマスクス宮殿 大広間 ────

「……僕も行きたかったんだけどなぁ。」
「ヴァロア卿。いい加減、ご自身の立場をわきまえてください。」

あーあ、まだ怒られてるよ。
ヴァロア卿はロドスに一緒に行きたいと言って駄々をこねては、プルートさんに説教されていた。
そりゃもちろん、《協会の剣》と名高きヴァロア卿が来てくれれば百人力だ。

「ヴァロア卿、ワシからも頼もう。お前さんにはもうしばし、エアリアに留まっていてほしい。」
「大公閣下! 御無事で何よりです。」
「ああ、お前さんたちのおかげで命を拾った。今、この国は混乱しておる。  陛下が目覚められた時、ワシらだけでなくお前さんからも状況を説明してほしいのよ。」
「……仰ることはわかりますがね……。」

おおー、あの人が! 
かの高名なガリア大公か。

解放された賢君のお偉いさんたちは、それぞれ国内の混乱をおさめるために奔走している。
だが、肝心の王様は昏倒したままだ。
さすがに邪気は祓われているからもう大丈夫だろうけど、目覚めたときには今の状況が全くつかめないだろう。
そのために、協会側の責任者……証人としてヴァロア卿はエアリアに留まることになっていた。

「もう諦めてください。代わりに、私がお手伝いして参りますわ。」
「……そうやって面倒なことだけ僕にやらせて、楽しいことは持っていくんだね……。」
「あら、それが"総督"のお仕事でしょう?」

プルートさんは微笑みながらヴァロア卿にとどめを刺す。
うーん、さすがは副総督。
上司の操縦の仕方を心得ている。

「さて、こちらも長く国を空けるわけにはいきません。  一度帰国し、総長にご報告した上で援軍とともにロドスへ向かいます。」
「本当は私も報告に戻るべきなんだろうけど……アンタに任せるわ、バーグ卿。」
「ええ、貴方はシュウくんたちを助けてあげてください。」

バーグ卿もここで離脱、か。
《呪縛の継承者》、ライス・バーグ卿が一緒ならそれこそ千人力だったんだけど。

「暇なお兄さんとは違って、偉い人たちは忙しいからねー。仕方ないんじゃない?」
「うるさいな。」

いちいち狗神に言われずとも、わかってるよ。
ハンター協会"総督"の多忙ぶりとくれば、一介のハンターと比べるまでもない。

「総長の裁可が下り次第、必ずや援軍を連れて向かいます。どうか、ご容赦を。」
「とんでもない! 頭をあげてください、バーグ卿。シュウさんたちが来てくれるだけでも助かります!」

ポティーロさんはそう言ってはくれたが……。
悔しいが、俺の実力ではそんなに役に立てないだろう。
でも、プルートさんや腐巫女さんが来てくれるだけでも十分に心強い。

「では、出発までしばらく休みましょう。戦いが続いていましたからね。」

プルートさんがそう言うと、転移の準備が整うまで俺たちはしばし休憩となった。
大広間を見渡すと、アスダフの術が解けて正気を取り戻した兵士たちが少しずつ増え始めている。
この調子なら、王様もしばらくすれば元気になるだろう。

「シュウさん。……さきほどの話の続きですが……。」

声をかけられて振り返ると、碧燕さんが真剣な表情で立っていた。
話の続き……? えーと、何を話してたっけ?

「ほら、あれだよ。お兄さんのお守りが光った話でしょ。」
「あ、ああ……その話か。あれにはびっくりしました。俺は【回避】を発現させようとしたんですけど……。」

アスダフに操られた王様の攻撃をかわすために解放言霊を唱えた。
しかし、実際にはゴーストメイルではなく碧燕さんのお守りが光を放ち、王様の邪気を祓った。

「本当にご加護ありまくりでした! ありがとうございます。  ああいう場面を想定して持たせてくれるなんて、さすがルーンマスターですね!」
「いえ……実は、アミュレットにそのような力があるとは思っていませんでした。」
「え、そうなんですか?」

魔除けだと言ってたから、てっきり知ってて渡したのかと思っていたが。
どうやら偶然だったらしい。

「そのアミュレットに込められていたのは【ライト】というエンチャントです。  古い時代の力なので詳しくはわからないのですが、月の光が物事の本質を露にすると言われています。」
「ほ~。"本質を露にする"か。その力でアスダフの術を破ったのかもね。」

アスダフは邪気の力で本来の人格を眠らせ、自分の命令を遂行するように上書きしていた。
月の光で本来の人格を呼び覚まし、上書きを破った。
……なるほど、そう考えれば狗神の言うことも一理ありそうか。

「もしかすると、このアミュレットはロドスの戦いでシュウさんの"武器"になるかもしれません。」
「え? このお守りがですか?」

えーと、それはどういう……?
お守りは"身を守る"から、お守りなのであって……?

「つまりぃ~、この力を"武器"にするってことさぁ~。」

えーと、それはどういう……??
"本質を露にする"力を"武器"にするというのは……?

「あー、なるほど! そういうこともできるわけか!」

……いや、全然わかりませんよ。
説明してくれ、狗神くん。


ロドス島 ワールシュタット平原 ────

ロドス島の西部に広がるワールシュタット平原。
一度は制圧したはずの平原で、ロドスの正規軍は追い詰められていた。

「たった一人、奴が帰ってきただけでこうも戦局が覆るとは……!」
「閣下、このまま前後から攻撃を受け続けては軍はもちません。策を講じねば……。」
「わかっている!」

島に帰還したアスダフは、残されていた魔力を使って二つの異界の門を開いた。
二つの門からは無数の悪魔の尖兵が群れを成して地上に降り立つと、圧倒的な数の力でロドス正規兵を祭壇の前から退けた。

「あの"指揮官"さえ討てれば……!」

門から現れた悪魔の尖兵たちを指揮しているのは、人の姿をとる二人の戦士だった。
一人はその背中から純白の翼を生やし、もう一人は漆黒の翼を生やす。
両者はともに美しい剣をその手に持ち、確かな統率力で尖兵を率いていた。

「……夕霧。部隊を半分率いて、黒の指揮官を討てるか。」
「はっ、お任せを。必ずや仕留めます。閣下はどうされるので……?」
「リーグニッツは今は捨て置くしかない。アスダフさえ討てば進撃も止められよう。  俺はこのまま正面突破し、クレア隊を破って祭壇に突入する!」

アスダフの配下は今、三隊に分かれている。

クレアが率いる本隊は、封印の祭壇前に陣取りアスダフへの道を阻む。
黒の指揮官が率いる部隊は、ロドス正規軍を回り込んでワールシュタット平原後方から攻撃をしかけてきていた。
一方の白の指揮官が率いる部隊は、ロータスらを無視して僅かな手勢が守るリーグニッツ王宮に向かっていた。

現在、ロータスたちはクレア隊と黒の指揮官の部隊に挟撃されている状態が続いていた。

「……このまま持久戦になれば我らが不利です。敵将狙いを第一にするのは、良策かと。」
「よし、では決まりだ。」
「ただちに任務にかかります。」

夕霧は敬礼すると、部下を引き連れてロータスに背を向けて走っていく。
数でおされ、前後から挟まれているこの状況で部隊を二分するのは愚策かもしれない。
しかし、そういう状況だからこそ賭けに出るしかない。

覚悟を決めた上での決断だった。

「……夕霧、死ぬなよ。」


エアリア王国 ダマスクス宮殿 大広間 ────

「では、これはもう役に立ちませんので引き取りますね。」
「あ、はい……。あのー、本当にこれで大丈夫なんですかね?」

渋々、お守りを碧燕さんに返し、代わりにいつもの魔法銃を受け取った。
天下のルーンマスターの長がやることだから、信頼はしているけれど。
……本当にこれで"武器"になったんだろうか?
なーんにも変わった気がしないけどなぁ……。

「何言ってるの、お兄さん! これで大丈夫だって!」
「そうだよぉ~。心配性だねぇ、しゅーまいんは。」
「だから、その変なあだ名やめてくれ!」

何なんだ、"しゅーまいん"って!
俺はシュウ・マイだ!

「アンタたち、さっさとしなよ!? こっちはずっと待ってんだからさ!」
「まあまあ、腐巫女さん。落ち着いて……。」

やべっ!
怒らせちゃいけない人が怒りそうだ!

大広間に敷かれた転移陣の中には既にポティーロさんと腐巫女さん、プルートさんが入っている。
いつもはぐだぐだ遊ぶ狗神もこの時ばかりはそそくさと転移陣の中へと入った。
どうやら、腐巫女さんには苦手意識があるようだ。
俺も慌てて陣の中へ足を踏み入れた。

「僕はいつも通り、解放言霊を唱えればいいんですね?」

チケットを握りしめたポティーロさんが確認すると、碧燕さんは頷いた。
手順はこうだ。

まずポティーロさんが陣の中で、解放言霊を唱えエンチャントを発現する。
その時、水丸がマナを増幅させる。
そしてその増幅したマナを碧燕さんが転移陣に注ぎ込んでチケットとのエンチャントと結びつける。
そうすればチケットの【転移】の力が陣内全域で発動して、俺たち全員がロドス島へ集団転移する。

……らしい。

「よろしく頼むよー、まるまる!」
「言われなくてもわかってるよぉ、わんころぉ。」

狗神のあだ名って、"わんころ"なんだ……。
"しゅーまいん"や"へっきー"の方がマシ……、いや、微妙か。

「腐巫女、プルート。頼んだよ。……面倒ごとは僕がやっておくからさ。」
「いい加減、拗ねるのはやめてください、ヴァロア卿。見苦しいので。」
「では……魔力開放!」

また主従漫才が見られるとちょっぴり期待したが、ポティーロさんの声が大広間に響き渡って中断となった。
残念、続きは島から帰ってからかな。

「いくよぉ~!」

水丸は白い光に包まれ、本性を現す。
"雲姉さん"こと雲外鏡や、"わんころ(笑)"こと狗神が真の力を発現するときに本性を現すのと同じだ。
そういや、こいつは一体どんな本性なんだろ?

『にじゅうまるっ!』

……なんだ、ありゃ!?
何か青い、丸っこいのになった。
口では表しにくい生き物、としか表現のしようがない。

だが、空気中のマナが凄い勢いで増幅しているのは俺にでも感じ取ることができる。

「我が導きに従え……!」

傍にいる碧燕さんも何やら呪文を唱え、水丸が増幅させたマナを手で操って転移陣に注ぎ込んでいく。
マナが注ぎ込まれていく転移陣は、淡い水色の光を帯びだしてきた。
ルーンマスター、すげぇ!

「水丸、このままではマナが少し足りません! もっと増やせますかっ!?」
『任してよぉ、へっきー。そぉーれ! さんじゅうまるっ!!』

途端に、マナが爆発的に増大する。
空気中のマナが膨張して雷のような爆音が大広間に響き渡った。
【気】を司る式神、すげぇ!!

「十分です! ……それでは、皆さん。ご武運をお祈りしております。」

碧燕さんのその言葉で、俺たちは光に包まれた。