第2部 失われた島の冒険録

ハンター協会フレイム支部の最上階にある、支部長の部屋。
部屋の主であるライス・バーグ卿の姿は今はそこにない。
部屋の執務用の大きなイスにはその主ではなく、総長アドレク・ロサンスが座っていた。

「来たか。」
「はい。任務でしょうか?」

部屋に現れた腐巫女に、ロサンスは静かに告げた。

「うむ。すぐさまエアリアに赴き、ヴァロアとともに彼の国の状況を調査して報告せよ。」

腐巫女は無言でうなずくと、すぐに部屋を後にした。
エアリアは今、混乱の渦中にある。
一体何が起こっているのか……、嫌な予感がロサンスの頭をよぎった。


第07話『王の変心』

サンドランド王国 ヴァルダナ王宮前 ────

得意げな顔でクレモニア三世は、王宮に向かって一歩ずつ歩みを進める。
そのすぐ後ろにはバーグが控えていた。
撤退を宣言したトラシズムらエアリア兵は、その状況を黙って背後から見守っている。
向かってくる国王に対して武器を向けようとする国民たちを、夜一たちは必死に押しとどめた。

「なぜ、止めないんです! 夜一様!」
「あの男に危害を加えようとすれば、バーグ殿が敵に回ってしまう。」
「しかし、このままではヤツは宮殿に戻ってしまいます。  エアリア兵とて今は静観してくれていますが、ガリア大公の意思次第では再び敵になります!」
「わかっているが……!」

何も手出しができない夜一たちの様子を見たクレモニア三世は、嫌味な笑みを浮かべた。
何かを思いついた、そんな顔だ。

「そうか。兵など使わずとも、無礼な者どもは余が自ら討てばよいのだ。」
「貴様! 民に手を出せば承知せぬぞ!」

夜一と雲外鏡、そしてローランとポティーロが戦う構えをとる。
しかし、そんな姿をクレモニア三世はせせら笑う。

「ほぉ。良いのか? 余に攻撃しようとすれば、この男と戦うことになるぞ。  まあ、それもまた面白いではないか。戦いたくない者たちが戦う。良い余興じゃ。」
「この外道っ……!!」

ポティーロが吐き捨てるように言った。
しかし、そんなやりとりをしていてもバーグの表情は変わらない。
砂漠の民の恨みを買うのは、自分の役目。
その決意が固いのか。あくまで、協会の人間としての立場を貫こうとしている。

「おい貴様、その剣を余に寄越せ。どうせなら普通の武器でなく、派手にやらねばな。」
「……生憎、この血塗られた剣を手にすれば貴方もご無事では済まないでしょう。」

世間のことに疎い彼でさえ、バーグの持つ終焉の神剣がただの魔剣でないことは知っていた。
下手に使っては、命を落とすことになりかねない。
言葉に怯んだのか、クレモニア三世は伸ばした手を引っ込める。
だが、その代わりにバーグの腰から小さな石をひったくった。

「そうだ、これがあるではないかっ。おい、これも呪われた道具ではあるまいな!?」
「……それは、呪われた道具ではありませんが、使わない方がよろしいかと。」
「呪われていないなら良い。貴様は先ほど、これが切り札と申していたではないかっ!  これで、そこの無礼者たちを全員討ち取ってくれる……!」

クレモニア三世は小さな石を右手に持ち、夜一たちに向けた。
どんなエンチャントが施されているかわからない。
あらゆる攻撃に備え、ローランと夜一・雲外鏡、そしてポティーロが国民たちを守るように先頭に進み出る。トラシズムも兵を守るべく、自ら先頭に立った。

「散々、余に無礼を働きよった痴れ者どもめっ! 覚悟せよ! 魔力開放!

閃光。

紫色のまばゆい光が石からあふれ出し、一瞬にして拡散した。
バーグを除いた、その場にいた全員が身構える。
……しかし、特段何も変わったことは起こらない。

光が収束すると、クレモニア三世の姿はなかった。
彼がいた場所には先ほどの小さな魔石だけが転がっている。
ポティーロはその石を拾い上げて、まじまじと眺めた。

「まさか……?」

懐から出した小さな石と、拾い上げた石を見比べる。
何が起きたのか全く理解できていない夜一が、ポティーロに駆け寄る。

「これは一体、どういうことじゃ? あの男は何処へ行った?」
「……クレモニア三世はどこかへ、転移してしまったのでしょう。ですよね、バーグ卿?」

誰もが事態を把握できない中、ポティーロだけには何が起こったかわかっていた。
先ほどのエンチャントには覚えがあったからだ。

「だから、使わない方が良いと御忠告申し上げたんですが……。」

ふっと笑みを見せると、バーグは終焉の神剣を鞘に納めた。
そして踵を返して王宮の反対へと歩き始める。

「ど、どこへ行くのじゃ?」
「任務継続は不可能ですので、帰還します。  ……クレモニア王は【転移】の力で自ら護衛を振り切り、行方をくらましてしまったのです。  任務継続できない理由を聞けば、ガリア大公もお許しくださるでしょう。」

サンドランドの国民たちに立ちはだかった最後の壁・バーグ卿が帰っていく。
そして国を捨てた憎き王は消えてしまった。
あちこちで歓声が上がる。

王が帰還しないことへの喜び。
皆の命があることへの安堵。
様々な想いが込められた大歓声だ。

遠ざかるバーグの背中を見ながら、夜一は考える。

小さな魔石に秘められたエンチャントに攻撃の力はなかった。
それなのに石を「武器」や「切り札」などと言ったのはなぜか?
あの男の関心を石に向けさせたかったからなのか。

「まさか、御主……。待ってくれっ!」

……こうなることを見越していた?

放っておけば、ローランやエアリア兵に見放されて自棄になる。
そして自分をバカにした者たちを、決して許さないクレモニア三世の性格を見越してのことだったのか?
終焉の神剣の呪いを恐れる小心者が、「安全な切り札」に飛びつくことをわかっていたのか。

「バーグ殿っ!!」

しかし、バーグは夜一の声に振り返ることはせず、ただ黙って遠ざかっていく。


エアリア王国 ハンター協会 ────

「一体、何が起こっているっていうんだ?」

ヴァロア卿も混乱していた。
入ってくる情報が、とにかく真偽のわからぬものばかり。
一歩街に出れば、にわかには信じられない情報が飛び交っている。

「ヴァロア卿、ご報告します。」

そこへ、頼もしい副官が戻ってきた。

「プルート、簡潔に報告を頼む。僕は今、頭の整理ができていない。」
「承知しました。では簡潔に事実を申し上げます。」

プルートは手にした手帳に目を落としながら、淡々と報告を続けた。

「エアリア王・ダマスクス七世陛下は、昨日ティルス・ガリア・ソフォクレス・ハンムラビの四名の賢君を招集。彼らを近衛兵に拘束させ、投獄しました。」
「……事実なんだな?」
「事実です。」

エアリア王国は王を頂点とする国だ。
だが、フレイムのように国王が専制権力を振るう国ではない。
ダマスクス王家を筆頭に、建国に関わった四家の大貴族を含めた"五賢君"の協議により政治方針が決定される。

しかし、王が残りの賢君を投獄したということは。
風の国で起こっていることは、とんでもない驚愕の事態だった。

「ダマスクス七世は国王独裁を宣言し、各領に帰順を求めています。」
「突然、なぜそんなことを……。それぞれの領地の動きは?」
「今は各領、混乱状態にあります。我々と同じく情報の収集に追われているようですね。」
「……もう、何だか滅茶苦茶じゃない。」

いつの間にか、支部長室の入り口に見知った人物が立っていた。
ロサンス総長直属の諜報部隊隊員・腐巫女だ。

「腐巫女、なぜ君がここに……?」
「命令です。ヴァロア卿とともに、エアリアで起こっている事態を詳しく調査して報告せよ、と。  ……で、これからどうするんです?」

どうする、と言われても。
今後もエアリアと協力体制をとらねばならない協会としては、王の真意を探らねばならない。
その為には。

「王領ダマスクスへ向かう。」
「……ま、それしかなさそうですね。私も同行します。」
「いや、腐巫女。君はプルートと一緒にルーンマスターの里へ行ってくれないか。」
「なぜです?」

きっと、王の突然の変心には何か理由がある。
そしてそこには、裏で糸を引く何か凶悪な存在がいる。
……戦いが、近い。

ヴァロアの直感はそう告げていた。
砂漠の国での事件は、対岸の火事では済まなかったのだ。

「きっと、彼らの力が必要になるはずだ。よろしく頼むよ。」


エアリア王国 バビロン領 ────

「昨日から、すごい人混みだねー……。」

狗神は宿屋の窓から町を眺めながらそう言った。
昨日、突然この国の王様が独裁を始めると宣言して各地の偉い人が捕まったらしい。
俺たち旅人に直接被害はないけど、街中は大パニックだ。

「こりゃ、のんびりしない方がいいかもな。王様次第では国境も封鎖されるかもしれない。」

そうなってしまえば、故郷・フレイムへの帰国が難しくなるだろう。
いくらハンターパスポートを持っているからとはいえ、こんな混乱の中だ。
あっさり通れるとは限らない。

「よし、早めに出国しよう。どちらにしてもここから北へ向かわないといけないな。」
「ふーん。こっから北上するなら、噂の王領を通らなきゃいけないんじゃない?  だったらついでにお城のパニック具合も見ていく?」
「お前はまたそんな軽いノリで……。面倒ごとに巻き込まれるのはもうごめんだ。  さっさと通り抜けるだけ!」
「ぶー。つまんなーい。」

こいつのこういう野次馬根性はなぁ。
ん? 狗神だから、野次犬根性になるのか?
まあ、どうでもいいか。

部屋をチェックアウトし、宿屋のおばちゃんに宿代を支払うと俺たちは荷物を持って街へ出た。
……うわっ、すごい人混みだ。
こりゃ、バビロンの街を抜けるのにも一苦労な気がする。

「……何事もなく、帰れるといいけどなぁ。」

この時はまだ知る由もないが。
そんなことは、無理だ。