第2部 失われた島の冒険録

「……大公。私は、どれほど意識を失っていたのだ?」
「さて、陛下の記憶がいつまでおありかにもよりますなぁ。ワシらを逮捕させた記憶はおありですかな?」
「……すまんが、全くない……。」

ダマスクス七世の意識が回復して二時間あまり。
主治医の許可が下り、賢君を代表してガリア大公が謁見に臨んでいた。
少々やつれてはいたが、その眼は邪気に侵されていた時とは違い、しっかりと大公を見据えている。

「私が賢君の逮捕を命じたというのか……。」
「ほっほっほ、信じられませんでしょう。逮捕されたワシらとて信じられませんでしたからな。」

意識を失っていた時に自分が何をしていたのか報告を受けてからというものの、 ダマスクス七世はずいぶん気を落としていた。
会話の中でわざとらしい皮肉を入れたのも、そんな国王への大公なりの気遣いだった。

「私を操っていたというのは一体、何者なのだ?」
「それはワシから説明するより……。」

大公は後ろの衛兵に無言で合図を送る。
衛兵は二人に向かって敬礼すると、扉の外に控えていた人物を連れて謁見の間に戻ってきた。

「それは、僕からご説明申し上げます。国王陛下。」


第15話『嘘も方便』

ロドス王国 リーグニッツ王宮前 ────

「気高き龍の王と、麗しく美しき龍よ。 古の魔法により交わされた魔の盟約によりて我が前に異でよ…………!」

地面に置いた石版が光を放ち始める。
光が宙に作り出した門は、ポティーロの言葉によって徐々に開いていく。

「【バハムート】、【水晶竜】!」

開いた光の門から、二匹の巨龍が現れた。
バハムートと並んで宙に現れたのは、太陽の光を受けて輝きを放つ水晶の鱗で巨躯を覆う美しい龍だった。

『久しぶりですね、ポティーロ。』
「やあ、水晶竜。また力を借りるよ。」
『ここはリーグニッツか。……どうやら、また楽観できる状況ではないらしいな。』
「君に助けを求める時点で、そういう状況だってことだよ。でも……。」

以前にこのロドスでバハムートを召喚したときは、アスダフに操られた兵士たちが王宮に迫っていた。
ポティーロは高台から、迫りくる悪魔の尖兵たちを見据える。
指揮官らしき白翼の魔物を先頭に、魔物の群れは刻一刻とリーグニッツ王宮に近づいている。

「今回は、全力でやっつけていいから。」
『……それは助かるな。俺は加減するのが苦手だ。』
『おやおや。相変わらず怖いね、龍王様。』

そう言うと、バハムートと水晶竜は轟音を響かせながら尖兵たちに向かって一気に翔ける。
敵の突然の登場に、魔物の群れは一時的にその歩みを止めた。

その隙を逃さず、バハムートは口から炎弾を放ち、悪魔の尖兵を焼き払っていく。
一方の水晶竜は集団を挟むように尖兵の群れの後方に回って、青白いブレスを浴びせかけた。
水晶竜の放ったブレスに触れた尖兵は途端に凍り付き、平原に大きな水晶が無数に生まれていく。

二匹の巨龍の圧倒的な攻撃に尖兵たちは狼狽した。
さらに、そこに追い打ちをかけるように砲弾が炸裂し、大きな爆発が魔物の群れを吹き飛ばしていく。

「さあ、よく狙いなよっ! 群れのど真ん中に放り込みな!」

腐巫女の指揮で王宮のロドス兵が砲撃を開始したのだ。
警備に残された兵は、ポティーロの呼びかけを受けて王宮を守るため連帯することとなった。
王宮のそびえる高台には、過去の戦いの遺産であるという大砲が数多く設置されたままになっていた。

まずは敵が離れているうちに、召喚獣と大砲で相手の数を減らす。
それが、時間を稼ぎながら無数の魔物を相手にするために、腐巫女とポティーロが考えた作戦だった。

「さて、それじゃ私はコイツらと一緒に敵の親玉のとこへ行くよ。」
「はい。お願いします! 僕はここで魔物の進行をできる限り食い止めます!」

敵将である白翼の魔物を討つのは腐巫女の役目だった。
腐巫女は白兎に乗り、魔獣と騎士を引き連れて高台を駆け下り、平原へと去っていく。

その様子を高台から眺めるポティーロは異界の友人とロドス兵の奮戦に感謝しつつ、腐巫女の無事を祈る。
そしてさらなる増援を異界から呼び込もうと石板にマナを注ぎ込んだ。

「さて、次は……グリールに来てもらおうかな。」

《時間の魔術師》。
そう呼ばれる悪魔を呼ぼうと、解放言霊を唱えようとした。
……のだが、言霊を唱えるよりも先に石板は勝手に光を放ち始める。

「えっ!? あれ? 僕、まだ何も……。」

狼狽えるポティーロをよそに、石板の光は二匹の巨龍を呼び出した時と同じように門を作り出した。
そして光から生み出された門は、主の意思に反して招かれざる者を呼び出す。


ロドス王国 ワールシュタット平原西部 ────

「ようやく出会えました。」

悪魔の尖兵とロドス兵が混戦を極める中で、夕霧は目的の人物にそう告げた。
彼の目前には群れを指揮する黒翼の魔物がいた。
魔物、と言っても見た目は人間とほとんど変わりない。
漆黒の翼を生やしていることを除けば、赤い刀身の剣を構えた普通の男性に見える。

「貴方が魔物たちを率いる指揮官ですね。」
「……ヨクゾ、ココマデ。見事 ダ。」
「閣下の命により、貴方を討ちます。」

夕霧は杖を天に向けて振りかざすと、解放言霊を素早く唱えていく。

「【スペルブレイカー】!」

呪文が成立した途端、黒翼の戦士の身体をマナで作られた文字の行列が縛り上げた。

夕霧の持つ、世界樹の杖には多くの強力なエンチャントが施されている。
その中でも【スペルブレイカー】は、相手の自由を奪う術。
相手の魔物がどんな攻撃をしてくるか読めない以上、一手目は攻撃よりも相手に制限をかける手を選ぶ。
多くの影の任務をこなしてきた夕霧ならではの判断だった。

「……マナ ノ 縛リ ……。面白イ エンチャント ヲ 使ウ。」

「余裕ですね。これはただの拘束術ではありませんよ。」

文字の行列に縛られた男の体からは、少しずつマナが漏れ出していく。
リーグニッツ王宮で白龍を迎撃したときと同じだ。
夕霧はこのマナを使って、攻撃の一手を放つつもりだった。

「ワガ剣ノ 前デハ 無意味 ダガナ。」

刹那。
男を縛り付けていた文字の行列が解けた。
いや、解けたのではない。
斬られた。

「馬鹿な。……まさか、マナを斬ったというのか?」

何事もなかったかのように、男は剣を構えて夕霧に向き合っていた。
鮮烈な赤い輝きを放つ刀身。
何らかの魔力が込められているのは間違いない。

「面白い能力をもった剣ですね。」
「銘ハ "魔界氷雨一振" 。貴様ノ 人生ノ幕 ヲ 閉ジル 剣ダ。」
「……なかなか詩的な表現だ。」

冷静にそう言葉を返しながら、夕霧は内心焦りを感じていた。

世界樹の杖を使う戦いでは、溜め込んだマナを大爆発させる【スペルレイ】で敵にダメージを与える。
爆発を起こすためには、【スペルエンハンス】によってマナを十分に溜め込まなくてはならない。
だからこそ、安全に時間を稼ぐためにも【スペルブレイカー】で相手の動きを封じるのが常道だ。

しかし、その【スペルブレイカー】が通用しない以上、相手の動きを封じることができない。
その上、相手は接近戦を得意とする剣士。

「マナを集める間に……斬られるか。」

相手が魔力を放つ攻撃をするタイプであれば、【スペルゲン反射鏡】での反撃も可能だっただろう。
だが、あの黒翼の戦士はそれも期待できそうにない。
夕霧にとっては致命的に相性が悪い相手だった。

「サテ、最期 ノ 言葉 ハ 決マッタカナ?」

男が魔界氷雨一振を構える。
……とにかく、時間を稼いで方策を考えるしかない。
そう結論を出した夕霧は、世界樹の杖を構えた。

「フフフ、ソンナ 杖デ コノ 剣 ヲ 防ゲルトデモ?」
「……とは、思いませんが。これしか手がないもので。」
「デハ、試シテミヨウ。何合 モツカナ?」

夕霧を斬り付けようと、真紅の剣が振り上げられる。
鈍い金属音が辺りに鳴り響く。
剣は夕霧の身体には届いていなかった。

「これは……?」

そして、世界樹の杖にも届いていなかった。
夕霧の身体を覆う、淡い光の不思議な球体に阻まれていたからだ。

「コレハ、結界? ソノ 杖ニ ソンナ エンチャント ガ アッタトハ……。」
「……そう。これが【スペルガード】です。」
「【スペルガード】、カ。」

その会話に甲高い少年の声が割り込む。

「えー!? いやいや、違うよね!? それ嘘だよっ。」

黒翼の戦士の後方から、二人の少年が走って来る。

「何ダ アイツラ……。貴様 ノ 仲間ナノカ? 【スペルガード】トイウノハ 嘘 ナノカ?」
「……そう。あの子の言う通り、今のは冗談です。」

困惑する黒翼の戦士をよそに、夕霧は珍しく笑みを浮かべた。
……誰かは知らないが、あの少年たちに助けられたようだ。
敗色濃厚の戦局が五分に戻ったところで夕霧は、驚きの一手を放つ。

「……先ほどの術は、【スペルバリア】です。」

ここで、嘘を重ねた。

「えーっ!!? はい、それも嘘っ!! もー、今のは僕の力だよっ!?」
「まあまあ、落ち着けって!」

背後からは夕霧の言葉を全力で否定する少年と、それをなだめる少年が走ってくる。
状況がつかめない黒翼の戦士はわけがわからず呆然とするほかない。
その間にも夕霧は二人の少年を分析する。

「一体、ナンナノダ 貴様タチ!?」

戦士の攻撃から守ってくれたということは、夕霧にとって少なくとも敵ではない。
誰かはわからないが、この場においては味方と考えて良さそうだ。

「そう。あの子の言う通り、今のも冗談です。」

一人が、先ほどの結界術の使い手。
もう一人は手に銃を構えている。
型を見たところ恐らく、エンチャントの込められた魔法銃。
攻撃手段としては、遠距離攻撃を得意とするタイプ。

……勝機は見えた。

「貴様、何ガ 言イタイノダッ!? 訳 ガ ワカランゾ!」
「ありがとう。もう十分です。」
「……!? マサカ、時間 ヲ 稼グタメニ 嘘ヲ……!? オノレ、馬鹿ニ シヨッテ!」

男は怒りの感情のままに、剣を振るう。
しかし、魔界氷雨一振の刀身は再び不思議な球体に阻まれて夕霧まで届かない。
届くはずはなかった。
夕霧も男もそうとは知らないが、この球体は【護】を司る式神の絶対防御のオーラなのだから。

「いえ、嘘をついたのは……」

世界樹の杖が輝くと、大気中のマナが夕霧に集まり始める。
夕霧の【スペルエンハンス】によるマナ集めが始まった。
だが、そこでオーラを展開できる時間の限界に達してしまい、夕霧を覆っていた球体が消え去っていく。

すかさず黒翼の戦士はその機会を逃すまいと剣を振るおうとしたが、それはできなかった。
もう一人の少年が持つ魔法銃から放たれた魔弾が迫っていたからだ。
男はやむなく夕霧に背を向け、魔界氷雨一振で魔弾を断ち斬った。

少年が二発、三発と魔弾を放っては、男がそれを斬るという応酬が続く。
銃撃で傷一つ負わせることはできないが、少年の魔弾が男の攻撃手段を奪い続けていた。
そして、剣で斬られた魔弾は力を失い、ばらばらのマナになって大気中に霧散する。
少年と男が攻防を続けるたびに、夕霧に集まるマナは加速度的に増加していった。

「単に、貴方をからかうのが面白かったからです。」
「ナニッ!?」

黒翼の戦士が振り返った時には、もう遅かった。
十分すぎるほどのマナが、夕霧の身体を不気味な青い光で輝かせていた。

「……【スペルレイ】」