「ヴェントリスに続いてアクアスを支えた御三家がまた一つ、表舞台を去ることになったわね。」
「結果的には、そうなりました。」
息子から裁判の結果について聞くウィンザー卿はため息をつく。
残された御三家は、イハージ家のみ。
「これで、イハージ公の一強時代になるのかしら。」
現当主のクシャトリヤは英明な人物であるが、功名心が強すぎるところがある。
軍を率いる将としては申し分ない人物で、国王からの信頼も厚い。
しかし、ウィンザー卿は幼いころからクシャトリヤが苦手だった。
「ガノトトスは政治利用しないという王命には、将軍も従うようだけど……どうなるのかしらね。」
「……母上は、ガノトトスの正体について聞かれないのですね。」
「あら。人払いしてまで伏せたことでしょう?」
「そうですが……てっきり、今日呼ばれたのはそれを聞くためかと誤解しておりました。」
ガノトトスの正体は、極秘裏に明かされた。
ウィンザー卿は王命による人払いにより大法廷から出たため、その正体は知らない。
だが、息子からその正体を聞くつもりもなかった。
「勘違いしないで頂戴。いくら親子でも秘密を漏らすように強要するつもりもない。」
「申し訳ありません、母上。」
ウィンザー卿も、かつてはアクアス王国検察庁の長官を務めた人物。
息子の立場は十分に理解している。
「失礼します、ウィンザー卿。……おや、息子さんもいらしてましたか。どもッス。」
そこへ息子・リチャード長官と同い年のランカスター副総督がやってきた。
ノリは軽いが、《ビーストテイマー》の通り名を持つ実力のある部下だ。
「エアリアの件、何かわかったかしら?」
「いやー、それは全く。情報は混乱してて、何が本当のことやらさっぱりわかんないッスね。」
「……? では、一体どうしたの?」
「いやー……」と口を濁しながら、ランカスターは頭を掻く。
彼の後方から、クシャトリヤ・イハージ公その人が現れた。
「エリザベス・ウィンザー殿。王命である。王宮へ参られよ。」
エアリア王国 王領ダマスクス 宮殿前 ────
業火、轟雷、吹雪。
魔石から様々な攻撃が放たれるが、アスダフを包む闇の球体はすべてを遮断している。
……これでいい。時間さえ、稼げれば……!
そう思いながら、プルートは攻撃の手を休めない。
その間も碧燕は邪気を封じる大嵐を呼び続けていた。
「なかなか面白い攻撃だった。……だが、遊びもここまでだ。
『闇に生まれしものには闇の定めを、闇を纏いしものには闇の加護を…………』」
アスダフが球体の守りを解く。
業火が殺到するが、アスダフに到達する前に弾かれてしまった。
闇がアスダフの体を少しずつ覆い始める。
「あの闇は一体……!?」
「これは、もしや禁術ですか。……まさか、あの黒衣は闇装束?」
ただ事ではない。
そう理解してはいるのだが、すべての攻撃がアスダフの前で弾かれてしまう。
プルートと碧燕にはどうすることもできず、ただ禁術の詠唱が完成するのを見守ることしかできない。
「『闇に狙われしものは、闇の中へ』。禁術……"闇隠れ"。」
アスダフを包んでいた闇が、一気に広がる。
ダマスクス宮殿の前の広場はたちまち暗黒に覆われた。
誰の姿も見えない、濃い闇。
「くっ……! これではエレメントの力を借りるのも危険ですね……。」
「この闇は嵐では祓えないねぇ~。どこから攻撃が来るかもわかんないし、へっきー、ヤバいよぉ。
僕は狗神と違って"守る"力はないしなぁ~……。」
【気】を司る式神。
水丸は大気中のマナを増幅させることができる。
碧燕の発動する邪気を封じ込めるエンチャントは、強力だが発動範囲は本来狭い。
それを水丸の力で増幅させ、宮殿前広場を含めたダマスクス宮殿周辺を覆う大嵐を呼び起こしていた。
水丸の力を攻撃のエンチャントに転じることもできるが、今はそうもいかない。
「しかし、嵐を止めるわけにもいきません。」
「そうだねぇ……。"嵐の後には凪がくる"ことを信じるしかないかぁ。」
嵐を呼ぶことをやめてしまえば、再び邪気が満ちる。
そうなればエアリア兵たちは望まぬ戦いを強いられることになる。
かといって、このままでは身を守ることもできない。
今、碧燕たちにできるのは嵐と闇の中でじっと耐え忍ぶだけだった。
「「ここまで、よく戦った。褒めてやろう。」」
闇の中でアスダフの声が響く。
前からも、後ろからも声が響いて位置をつかむことができない。
「「だが、それもここまでだ。お前たちは我を倒すことはできぬ。広場の人間どもを守ることもできぬ。」」
アスダフの言葉によってプルートや碧燕の心に、諦めの気持ちが芽生え始める。
自分たちではアスダフには勝てない。
広場のエアリア兵たちを守ることもできない。
何一つ、できることはない。
諦めの気持ちは、少しずつ心の中で育ち"絶望"へと成長していく。
「「お前たちは闇の中で眠り、"絶望"の糧となれ。」」
何も見えない闇の中で、心も闇に堕ちていく。
その時。どこからともなく現れた一筋の紅い光が、闇を裂いた。
闇よりも禍々しいとさえ感じる、紅い光。
「……あれは……?」
少しずつ、紅い光が目に慣れてくる。
闇を裂いたのは、紅い光を帯びた剣だ。
「我が結界の内で、その悪しき力を具現することあたわず……! 奥義、【聖域】!」
刹那。
淡い光のドームが広がり、辺りを覆う闇をかき消した。
「馬鹿な……!? 我が禁術の力が消されただと?」
闇が晴れていく。
いつの間にか、あれほど荒れ狂っていた嵐も止んでいた。
「……ほんとに、嵐の後には凪が来たねぇ~。」
「ええ。嵐も闇も、何もかも……あの剣の前には無力です。」
広場には紅い光を帯びた剣を携えた一人の男が立っていた。
「バーグ卿! サンドランドからお戻りでしたか。」
「ええ、プルート副総督。まさか、帰り道にこんな状況に出くわすとは思いませんでしたが……。
碧燕殿もよくここまで持ちこたえましたね。【聖域】がある限り、もう大丈夫です。
広場の兵士たちも、彼らに任せればいい。」
バーグの言葉に、プルートが後ろを振り返る。
宮殿前広場に、エアリア軍が隊列を成して雪崩れ込んできていた。
その先頭にはエアリアが誇る名将、ドラコン・トラシズムの姿があった。
「シドン兵たちよ、聞け! これより宮殿前広場の兵士たちを救出する!」
ロドス島 ワールシュタット平原 ────
「平原は、ほぼ制圧したかと。」
「よし。クレアたちの本陣は?」
「封印の祭壇の前に陣を敷いているようです。」
ロドス軍は、アスダフに操られている兵士たちとの戦いを続けていた。
戦っている相手も自分たちの仲間。
その事実がロドス軍を疲弊させていた。
しかし、その中でもロータスは軍を鼓舞し続け、ワールシュタット平原はほぼロドス軍が制圧していた。
残すは封印の祭壇前に陣どるクレア将軍らの本隊。
ここを叩けば、祭壇にたどり着くことができる。
「ポティーロは、上手くやれているでしょうか。」
ポティーロがアスダフを追ってインナーフィーアに戻って六日。
表情は変わらず真顔のままだが、夕霧なりに心配している様子だった。
ロドス兵の洗脳が解けていないのは、アスダフの邪気が祓われていないからだ。
つまり、アスダフは未だに倒れていないということ。
だからこそ、アスダフを追ったポティーロの身が心配なのだろう。
「大丈夫だ。あいつは、ああ見えてしぶといからな。」
笑いながら、ロータスはそう答える。
今自分にできることは大封印を強化すること。
その為には、封印の祭壇を奪還しなくてはならない。
「行くぞ。祭壇は目前だ。」
エアリア王国 王領ダマスクス 宮殿前 ────
「碧燕さん! プルートさん! 大丈夫ですかっ。」
「まるまるー!」
宮殿前広場は倒れこむエアリア兵と、それを救助するエアリア兵でごった返していた。
アスダフの姿はすでになく、どこかへ逃亡したようだ。
「シュウさん。ご無事で何よりです。……こちらは、何とか。」
「ヴァロア卿、申し訳ありません。アスダフに逃げられてしまいました。」
「いいや、プルート。僕たちも王の間で取り逃がしたんだ。君の責任じゃないよ。」
狗神は広場で寝転がっている水丸に飛びかかっている。
ほんと、こういうところは……犬なんだよなぁ。
ポティーロさんと腐巫女さんは、救援に駆け付けたバーグ卿に状況を確認している。
「奴はどこかへ転移したと?」
「そのようだ。終焉の神剣でマナを使う能力は封じていたはずなんだが……
あれは何か別の力なのか……。」
「アイツは先頃まで島に封印されていました。身体は解放しても、まだ封印の縛りは完全には解けていません。封印の縛りを完全に解くには、閣下の命を奪うしかないんです。」
「……ということは、あんたの言うロドス島に戻った可能性が高いんじゃない?」
「その可能性が、一番高いですね。」
ロドス島。
ポティーロさんの故郷にして、アスダフが封印されていた場所。
そして、アスダフが解放しようとする"何か"がいるところ、か。
「閣下に危険が迫っている……。僕は、すぐ島に戻らなきゃ。」
ポティーロさんは懐から一枚の紙切れを取り出す。
『ロドス行きチケット』と書かれたチケットだ。
そういえば、サンドランドから帰るときも、あれ使ってたな。
「そのチケットは……?」
「ああ、これですか。瞬時に移動する力を持つエンチャントには何種類かあるのですが……。」
どうやらポティーロさんの説明によると。
世の中には、ある程度の範囲は指定できるけど、ピンポイントには飛べない【転移】のエンチャントがある。ただ、この他に、魔力で場所を記憶させることでピンポイントに「ここ!」という場所へ【転移】できるエンチャントが込められた道具があるそうだ。
このチケットはロドス島を記憶させたものらしい。
「ただ、一度使用するとマナの記憶が失われてしまうので……。
もう一度使うにはエンチャントメントしなおす必要がありますが。」
「なるほど、複数回使用するには制限があるというわけですか。しかし、そのような技術が……。」
これには碧燕さんも感心している。
ルーンマスターの一族ですら感心するようなエンチャントメント技術。
ロドス島って一体どんなところなんだろう。
「でもでも、ぽちさん一人で行くのー? またアイツと戦うんでしょ。」
「そうですよ。俺たちも一緒に行きます。」
大した戦力ではないかもしれないけれど。
だけど、ここまで一緒に戦ってくれたポティーロさんを放ってはおけない。
「協会としても今回の事件の黒幕、ほったらかしにはできない。だよね、バーグ卿?」
「そうですね。きっと総長も"できる限りの協力を"、と仰るでしょう。」
「アンタだけじゃ不安だしね。……逃げられたのは私にも責任があるわ。」
うん、協会の面々も意見は同じなようだ。
「みなさん……。ありがとうございます。ただ、このエンチャントでは一人しか転移できないんです。アスダフのことは、僕らに任せてください。」
ポティーロさんがぺこりと頭を下げる。
チケットに込められた魔力では1人を転移させるのが精いっぱい。
そりゃそうだよな。集団での瞬間移動がそんなにお手軽にはできない、か。
「それなら何とかなるかもよぉ~。」
そこへ気の抜けた声がかかる。
相変わらず地面でごろごろしている水丸だ。
すると、狗神が何かに気づいたように、べしべしと水丸を叩く。
「そっか! まるまるならできるじゃん!」