第2部 失われた島の冒険録

「この一連の混乱で大きな損失が見込まれる企業が複数出ています。」

ダマスクス七世の意識が戻ったこともあり、エアリア国内の状況は好転し始めていた。
賢君の尽力もあり、パニック状態の都市部の混乱は収拾に向かっている。

しかし、経済はそう簡単ではない。

他国の取引相手からエアリアの企業や商人は今後の先行きが不安視され、 投資が引き上げられるなどの影響が深刻になりつつあった。
経済は"信用"で成り立っている。
実際には他の国がエアリアという国の今後を不安視していることが、経済の世界にそのまま反映しているのだ。

「融資の条件を緩和しなさい。赤が出る覚悟でもいいわ。」
「よろしいのですか?」

チャロスは手元の資料に目を落としながら淡々と答える。

「……ただでさえ、サンドランドの一件で世界経済は冷え込んでいるわ。  そこに今回の件。放っておけばエアリア一国の問題だけでは済まない。」

政治の世界では個々が独立した国であったとしても、経済の世界では別だ。
経済の世界に国境は意味を為さない。
一つの国、一つの街で起こったことが他の街、他の国へと次々に影響していく。

「不況はウイルスと一緒よ。……パンデミックが起きる前に、手を打たなければ。融資の件、いいわね。」

エアリアの不況は、やがてインナーフィーア中に感染していくだろう。
そうして世界の経済は疲弊していく。

「承知しました。世界経済を見据えた御英断、さすがは頭取です。」
「アタシは、コスモバンクの頭取。経済の世界の王よ。世界全体のことを考えるなんて当然じゃない?」


第16話『All in the golden afternoon』

ロドス王国 ワールシュタット平原東部 ────

「道を空けな! ジャバウォック!」

天気は快晴。昼下がりのワールシュタット平原に轟音が響き渡る。
魔獣が強大な衝撃波を放ち、腐巫女の前に立ち塞がっていた悪魔たちの壁に大きな穴が開いた。
穴の向こう側に、一人の男の姿が見える。
大きな白い翼と、美しく輝く蒼い剣を携えた男だ。

「アイツだね。親玉は。」

腐巫女は右手を挙げると、ナイトが大きな剣を振りかぶって尖兵たちを薙ぎ払う。
尖兵たちの陣形が完全に崩れると、白翼の戦士は腐巫女たちの方を一瞥した。

「……汝、誰也。」
「名乗るほどのモンじゃないよ。」
「……【漆黒焔龍陣】。」

男は蒼剣を勢いよく地面に突き刺す。
すると、たちまち闇のように黒い陣が地面に刻まれた。

「……嫌な感じだね。地獄の門でも開こうってのかい?」

途端、陣から炎が噴き出した。

陣と同じ、闇のように黒い不気味な炎。
炎は腐巫女たちの前に立ちはだかっていた悪魔たちを焼き尽くしながら迫ってくる。
悪魔たちが成す術なく焼き尽くされていく様は、まさに地獄の炎のようだった。

「味方も関係なしか。嫌な上司だね。……ナイト!」

尖兵たちを薙ぎ払っていたナイトは、腐巫女の前に陣取ると大きな盾を構える。
"地獄の炎"はナイトを呑み込もうとしたが、大盾は炎を通さない。
腐巫女は懐から扇子を取り出して開いた。

「……?」

「これは、邪な者たちを退治するのに使う神聖な桃の木から作った扇子さ。
 アンタが地獄の炎で攻撃してくるって言うんなら……。」

桃扇を一振り。
わずかな風が生まれる。

「ホワイトラビット!」

号令を受けた白兎が、ぴょんと跳び上がった。
すると、小さな扇子が生み出したわずかな風は、早送りしたかのように急激に空気を動かす突風に成長する。

「こっちは神聖な風で反撃といこうじゃないか。」

突風は盾を構えるナイトを越えて、地獄の炎を弾き返した。
炎によって再び尖兵たちが倒れていく。

「……見事。」
「さあて、次はこっちから行くよ。」

- Come♪ tell me how you live♪

一歩ずつ男に近づいていく腐巫女だったが、ふと足を止めた。
白翼の戦士は急に歩みを止めた腐巫女を訝しげに睨む。

- Come♪ tell me how you live♪

「なんだい……これは、歌……?」

白兎が心配そうに腐巫女の肩に跳び上がった。
尖兵をあしらっていた魔獣も寄ってくる。

「……お前たちには聞こえないのかい?」

どうやら、白翼の戦士にも白兎や魔獣にも聞こえていないようだ。
しかし、腐巫女には確かに聞こえている。
何と言っているのかまではわからないが、楽し気な、そして少し不気味な声が。

「……ナイト?」

大盾を構えるナイトが、動かない。
いつもなら腐巫女をかばうように、常に一歩先を行く騎士が。
ナイトに駆け寄ろうとすると、また声が聞こえてくる。

- The jaws that bite♪ the claws that catch♪

「別の声……?」

間髪を入れず、辺りに大きな声が響き渡る。
魔獣が突然、遠吠えをし始めたのだ。

「どうしたんだい、ジャバウォック!?」

- Oh dear♪ Oh dear♪ I shall be late♪

また、別の声がした。
肩に乗っていた白兎がさっと地面に跳び下りて目を閉じる。

「……お前たち、一体どうしたっていうんだい……?」

三匹の従者たちは、腐巫女に応えない。
ただその場でじっと、"何か"を待っているかのように動きを止めていた。

- Come♪ tell me how you live♪
- The jaws that bite♪ the claws that catch♪
- Oh dear♪ Oh dear♪ I shall be late♪

不思議な三つの声が重なっていく。
声に合わせて大気中の"何か"が、三匹の従者たちに注がれていくのが腐巫女には見えた。

- And what it is you do♪
- Came whiffling through the tulgey wood♪ And burbled as it came♪
- Oh my ears and whiskers♪ how late it’s getting♪


ロドス王国 リーグニッツ王宮前 ────

「お前は誰だー!??」
「……ポティーロだけど……。」

突如として石板が作り出した異界への門から現れたのは、ペンギンだった。

「うおー!! 何て変な名前なんだー!!」
「君こそ誰なの? 何でここに?」
「俺はペン太だー!! 餌を求めて極寒の海を泳いでいたはずなのに、気が付いたらここにいた!」

どうやら事故で喚ばれてしまったようだ。
こういう召喚事故は珍しいが、起こらないというわけではない。
時には、偶然発生してしまった空間の歪みから異界の住人がやってきてしまうこともある。

「なるほど、召喚事故か。君をもとの世界に帰してあげたいけど……ちょっと今は立て込んでいてね。」
「何だー?? そもそもここはどこだー!?」
「ここはロドス島のリーグニッツ王宮前だよ。」
「ロドス?? 俺は知らないぞー!??」

一々、声がでかいなコイツは。
……そんな悪態を心に秘めながら、ポティーロは穏やかに状況を説明する。

「今、ちょっと戦争中なんだ。友達を召喚して助けてもらおうと思ったんだけど。
 多分、君はその余波で巻き込まれてしまったんだろうね。ごめんね。」
「なるほどなー!! それでか?? 西の方に変な瘴気が満ちているのを感じるぞー!!」
「西……? 腐巫女さんが行った敵将のいる方か……? まずいな、早く助けに行かないと。」
「おー!! そういうことなら、俺も協力するぞー!!」
「え? 戦ってくれるの?」
「こう見えても、俺は群れで一番の戦士だー!!」

思わぬ味方の登場に、ポティーロは歓喜する。
今は猫の手……いや、ペンギンの手でも借りたい状況だ。

「それは心強い。君はどんなことが得意なの?」
「魚を獲る!」

……。

「魚っていうと……あの。」
「魚は魚だぞー!? 知らないのかー?? 刺身でも煮ても焼いてもウマイぞー!」

やっぱり、間違いなく"魚"のことのようだ。
「魚」という名前の魔物だったらいいなと密かに期待するポティーロの気持ちはあっさり裏切られた。

「特に巨大なマグロを獲れるのは、群れでは俺だけだー!!」
「マグロ!?」
「そう、マグロだー!! なんだ、知らないのかー!? マグロは一度泳ぎだすと……」

スイッチが入ってしまった。

「死ぬまで泳ぐのをやめられない魚なんです!」
「そっ、そうだぞー!!?? お前、話せるじゃないかー!!」
「ロドスの民も食べますから! 特に、刺身にすると美味しいですが、少し表面を……」
「炙って食べるとまたウマイんだー!!!」
「話せますね、ペン太くん!!」
「お前こそなー!! ちなみにどこの部位が好きだー!? 脂身もいいけど、俺は赤身の部分が……」

ちなみに、ここは戦場のど真ん中である。