第2部 失われた島の冒険録

アクアス王国の都、ヴェンツィアにある王宮神殿。
世界中に存在する水竜神団の管理する神殿の総本山である。
この神殿に連日、水竜神団の司祭や信徒をはじめ多くの人が詰めかけていた。

「前任者が罪人として罰を受けてなお、信仰は揺るがない。……ガノトトスの偉大さの証ですね。」
「いえ、これは……パルティア教皇猊下の人徳あってこそでしょう。」

神殿に押し寄せた多くの人々の目には涙が浮かんでいた。
一人の偉大な聖人が公の場を去り、一つの時代が終わることへの涙だ。
エンヴィロンには彼らの気持ちが痛いほど伝わっていた。

「そうでしょうか。私の選んだ道は、正しかったのでしょうか……?」
「もちろんです。猊下が選んだ道はガノトトスを政争から守り、そしてこの国の平穏を守る道です。  己が立場と引き換えにして、猊下がガノトトスとアクアスの平穏を守ったのです。」
「私のことなど些末なことです。それで貴方の言う通り、皆を守る役に立つのなら喜んで捨てましょう。」

パルティアは王を欺いた罪で、公職を追われた。
しかし、パルティアにそのことに対しての後悔の念は微塵もない。
それよりも今後の水竜神団やガノトトスの行く末がただただ、心配だった。

「これから皆を導くのは、貴方です。神団を頼みます。」


第14話『時代は変わる』

サンドランド王国 コーサラの街 ────

クレモニア三世の脅威が去り、街に明るい雰囲気が戻っていた。
復興に向けて国民たちが汗を流し、作業に勤しんでいる。

「はぁぁ……。」

そんな中で、一人頭を抱えている人物は夜一だった。
手にはエアリアのニネヴェ領からやってきた商人から買い付けた新聞があった。

「一体何をそんなにぶつくさ言ってるの?」

雲外鏡は横からすっと新聞をかっさらい、記事に目を通す。


《“賢君”無事解放、陛下は術に?》

国王陛下が専制を宣言し、宰相・ソフォクレス公を始めとする“賢君”四名を全員投獄の上、
各領に帰順を求め、エアリア領内に混乱が生じていたいわゆる「七世統治宣言」だが、
アンリ・ヴァロア卿率いるハンター協会各位と、先頃サンドランドより帰還したトラシズム将軍率いるシドン軍により解決した。
関係者によると、ダマスクス七世陛下は、何者かに術をかけられていた可能性が高く、現在は意識を失った状態ではあるが、治療を受けておられるとのこと。
投獄された“賢君”らも、シドン軍により無事に解放された。
王宮前の広場では多くのエアリア兵が意識を失って倒れていたという情報もある。
王領に吹き荒れた謎の大嵐との関係も未だわかっていないが、有識者によれば、ただの大嵐ではなく……


「なるほど。これがあの子が話していた……。」
「おそらくのぉ……。」
「でも、あの将軍さんも間に合ったのね。良かったじゃない。」
「うむ。記事によれば国王も賢君もみな無事のようじゃ。ポティーロ殿も無事だと良いのじゃが。」

……やはり、アスダフが裏で糸を引いていたのだろうか。
新聞の記事からはわかる情報が少なく、やきもきさせられる。
ただ、記事に死者の情報がないことは夜一を心から安堵させていた。

「夜一様~!! 大変ですっ!」

そこへジョダロが新聞を片手に走りこんでくる。
『アクアス・タイムス』は、東国アクアスの大手の新聞だ。

「んん? 何事じゃ? ヴェンツィアから来た商人との取引はどうした。」
「それは後で! とにかく……こ、これを見てください!」
「何、また新聞なの? 私にも見せて頂戴。」


《パルティア教皇、退位! 王国の役職からも解任!》
反逆罪で告発されていたバラモン・パルティア教皇猊下に、王を欺いた罪で有罪判決が下された。
逆心は認められなかったものの、ウォーラーステイン陛下はパルティア教皇猊下を公職から解任。
また、猊下は自らの意思で水竜神団の教皇位からの退位を宣言された。
建国からアクアスを支えた"御三家"と称される名家・パルティア家の落日。王国全土に衝撃が走っている。
"御三家"といえば、ヴェントリス家の失脚もまだ記憶に新しいが、残されたイハージ家に……


「西で王の乱心、東で名家の没落とは……世の中、一体何が起こっているのじゃ……。」
「形あるものはいつか崩れるわ。いつまでも変わらないものなんて、一つもない。  時代は変わるのよ。今、この国だって変わろうとしているんだから。」
「それはそうじゃが……。」

そんな会話をする二人をよそに、ジョダロは先ほどまで雲外鏡が読んでいたエアリアの新聞を拾い上げる。
エアリア王国の混乱ぶりが克明に記された《エアリア・ジャーナル》の一面記事。
ジョダロは、その隅にあった写真記事に目をとめた。
写真記事は、混乱するダマスクス王宮の内部をスクープしたものだった。

「あれ? ここに写っているのって……。」

混乱する王宮の大広間を写したその写真には、 無事解放されたガリア大公と協会のヴァロア卿が会話をしている姿が捉えられている。
二人の奥のスペースでは何やら光を放つ大きな陣が描かれ、その中心に……。

「シュウ殿!?」
「あら。あの子たちも一緒なのね。賑やかなところには必ずいるわね~。」


ロドス王国 リーグニッツ王宮 ────

「ここは……!?」
「どうやら島に戻れたようです。ここは、ロドス王国の王宮です。」

どうやらチケットに記憶されていたのは、ロドス島の中心地であるこの王宮らしい。
無事にたどり着いたのはいいけど……王宮の外壁はボロボロだ。

「うーん、えらく傷ついてるねぇ。」
「先頃、アスダフに操られた兵士たちの襲撃を受けたばかりなので……。」

なるほど、そういうことか。
それでところどころ城壁も崩れているんだな。
王宮にはロドス軍の兵士さんたちが少しだけ残っていた。
本隊はポティーロさんの仕える"閣下"ことロータスさんと出払っているらしい。

「それで、ポティーロさんの仰った、封印を司るというロータス様はどちらに?」
「恐らく、封印の祭壇を目指して西へ向かっているはずです。」
「うーん……西かぁ。そっちからはちょっとイヤな臭いがするねぇ。」

相変わらず鼻が利くな。
狗神は王宮の外、西の方角を向いてくんくんと臭いを探っている。

「イヤな臭いって……アスダフか?」
「いや……どうだろ、これは……。ちょっと違うな。こっちに近づいてきているけど……。」

え? アスダフじゃない?
ということは、別の何か"イヤな"存在がこちらに向かっているのか?

……それもそれで、"イヤ"だなぁ。

「ちょっとお兄さん。上手いこと言ったつもりになってる場合じゃないよ。……これ、結構ヤバイかも。」
「え?」

狗神はそう言うと外へと飛び出していく。
俺たちもわけもわからず、狗神を追って王宮の正門へと走った。

王宮はちょうど高台に位置しているようで、外に出ると島の遠方まで眺められる造りのようだった。
だから、"イヤな"ものが"イヤ"でも目に入る。

「うわぁー……、確かにこりゃイヤな感じだ。」
「あらあら。すごい魔物の集団ですわね。」
「チッ、面倒だね……完全にこの王宮に向かってるじゃないか。」

骸骨型の魔物が大量に群れを成して、この王宮に向けて猛進してきている。
その先頭には、真っ白な翼を生やした剣士。
どうもあいつが魔物の親玉っぽいな。

「あれ、どう考えても味方じゃないよね、ぽちさん。」
「残念ながら。……恐らく、アスダフの配下の魔物たちでしょう。」
「西から来てるってことは、ロータスさん達は……?」
「……今は、わかりません。急ぎ西へ向かわないと。とはいえ、王宮も放置できません。」

リーグニッツ王宮はロドス王国の中心だ。
いくら主がいないからと言えど、魔物に易々と明け渡すわけにもいかない。
しかし、ロータスさん達の安否がわからない以上はのんびりもしていられない。

王宮の防衛と西進、このどちらも捨てられない。
となれば……。

「これは、二手に分かれるしかないね。」
「ほう。犬っころもたまには頭が回るじゃない。」
「むかっ!」

本当に対腐巫女さんはダメだな、こいつ。
でも、ここは狗神の言う通りだ。
王宮を守るチームと、ロータスさん達のもとへ急行するチームに分かれるしかない。

……理屈上は、そうなんだろうけど。

「ですが、四人しかいない私たちが二手に分かれたところで焼け石に水ではないですか?」
「おっ、ここで得意の"石"を入れてくるとは。洒落たこと言うね、プルート。」
「腐巫女さん、今は真面目にお話しています。」
「……悪かったわよ。」

おお、腐巫女さんに強い人物を発見!

……いやいや、そんなモニタリングをしている場合ではないか。
プルートさんの言う通り、俺たちは総勢四人しかいない。
これが分かれたところで、二人ずつ。
少なくとも、あれだけの魔物から残されたわずかなロドス兵+二人で王宮を守ることは難しい。

「……本当は僕が閣下のところへ急ぎたいところですが、ここは僕が王宮に残るのが良さそうです。」
「いやいや、いくらポティーロさんでも、さすがに多勢に無勢ですって!」
「うーん、こればっかりはお兄さんに賛成かなぁ。あの数に太刀打ちするには無策すぎるよね。」

王宮を守って、ロータスさんやバーグ卿の増援を待つか。
それとも、王宮を捨ててロータスさんたちを追うか。
どちらかを選ぶしかないんじゃないか?

「大丈夫。こう見えて、僕は友達が多いんですよ。」

ポティーロさんは笑いながらそう言うと、懐から一枚の石板を取り出した。

あっ! そうか!
この人には確かに、"友達"が多い。

「なるほど、異界から増援を呼ぶわけですね!」
「それは……【召喚】の石板ですね。碧燕さんがかつて見せてくれたことがあります。」
「あー、そういうこと!」
「なんだい、そういうことか。それなら、私が一緒に残るよ。」

腐巫女さんの周りにいつもの三匹が現れる。

「頭数増やすなら、この中では私が向いてるからね。」

魔獣は魔物たちの方に向かって遠吠えをし、騎士はガッチリと盾を構えて正門に陣取った。
白兎は……ちょっとおびえているのか、腐巫女さんの足元に隠れている。

「じゃあ、俺たちは西に向かいます!」
「手早く戻りなよ。私らだって、さすがに長くはもたない。」
「あら、腐巫女さんにしては珍しく弱気な発言ですね。」
「……うるさいね。」

やめろ、狗神。
嬉しそうに無言で踊るのは!
腐巫女さんの無言の睨みが怖ぇ!

「では皆さん、閣下を頼みます!」


ロドス島 封印の祭壇 最深部 ────

闇に包まれた封印の祭壇の最深部を静寂が支配していた。

アスダフはその沈黙の中で、身体を休める。
身体を取り戻したとはいえ、ロータスの封印の縛りが解けないままに次々に術を使ったことで少なからず疲弊していた。
だが、そんな状況でも来訪者の気配には気が付く。

「……よくも我が影を次々に潰してくれたな。」
「あら、お気づき?」

闇の向こうから一人の女剣士が歩いてくる。
剣士はその細身に似合わない大剣を携えながら、身体に僅かな淡い光を纏わせていた。

「フン……だが、今度は我が貴様を潰す番だ。」
「満身創痍で生意気言うわねー。ま、お望みなら……ここで消してあげてもいいけど?」
「そのつもりでここへ来たのだろう。」
「まーねー。最初はね、そう思ったけど。……でも、私がやらなくても大丈夫そうだから。最期の挨拶だけ。」

それだけ言うと、女剣士はくるりと踵を返した。
一歩ずつ、今度は闇に向けて歩いていく。

「何を馬鹿なことを。人間ごときが我らに敵うものか。」
「さあ、馬鹿はどちらでしょう? 人間は魔の者にいつまでも虐められてるわけじゃないわよ。」

剣士はそう言いながら歩き続け、闇の中へと消え去った。
しばしの静寂の後、神殿を覆う闇の中からどこからともなく剣士の声が響く。

「貴方も薄々わかってきたでしょう。人間の、凄さ。時代は変わったの。」