天候は一転して、大嵐。
宮殿前の広場を豪雨と突風が襲っていた。
荒れ狂う大嵐の中で、アスダフの傀儡となったエアリア兵たちが次々と意識を失い倒れていく。
その様子を広場で見る、ドルチェ・プルートは驚きを隠すことができなかった。
「お話には伺っていましたが……このエンチャントは凄まじい力ですね。」
「このエンチャントは、かつて我々の祖先が込めた力の中でも特に強力な『奥義』の一つです。
私が込めることのできるエンチャントではここまでは。それに……」
「僕の力で、へっきーを助けてあげたからねぇ……ふわぁ。」
この大嵐を気にせず地面でごろごろする少年が、言葉を継いだ。
エアリア王国 ダマスクス宮殿 王の間 ────
「何事だ……? 我の力が祓われたというのか……?」
あれほどまでに俺たちを苦しめた邪悪な魔力の嵐は、
突如吹き荒れた別の魔力の嵐に吹き飛ばされた。
……さっきのお守りのことといい、何が起こってるのかさっぱりだ。
「うわー……お兄さん、外見てよ。」
狗神に言われ、王の間のどデカい窓の方に視線をやる。
と、そこに広がっていった光景は……。
「……外は本物の大嵐、だな。」
「この天候はやばいよねー。濡れたくないなぁ、僕。」
うーん、この嵐では濡れないのは無理じゃないだろうか。
それにただの嵐じゃない。
この宮殿の中を駆け抜けて、アスダフの邪気を祓った魔力と同じ力が感じられる。
「これも何らかのエンチャントの力なんでしょうか?」
「さあ、どうなんだろうねぇ?」
ポティーロさんの疑問に答える腐巫女さんは、心なしかニヤついている。
……こりゃ、何か知ってるな。
「どうやら彼女のおかげ、みたいだな。」
ヴァロア卿もしたり顔だ。
どうやら協会側の助っ人のおかげらしい。
「さて、アスダフ君。もう一度邪気を放ってみるかい?」
「……」
アスダフは再び両手をこちらに向けたが、先ほどとは違って魔力が集まることはない。
……勝機が見えてきたな。
「無駄さ。君の邪気はもう封じられている。今度こそ、覚悟を決めるといい。」
「フン、小細工を。」
「狗神!」
「わかってるよ!」
アスダフは魔力の塊をエアリア王に向かって投げつけようとしたが、狗神のオーラがそれを阻む。
気絶する王様を狙うとは、卑怯な奴だ。
「王様は殺せない。狗神のオーラは、絶対防御だ。」
「やだなぁ、お兄さんったら。そんなに褒めないでよ~。」
……たまに褒めてやると、すぐこれだ。
ポティーロさんもチャルメラを構えてアスダフに詰め寄る。
「さあ、ここまでだ。エアリア王はもうお前の人形じゃない。
それに、王様を殺して"絶望"の念を増幅させることもできない。
お前の力は閣下がいる限り、完全には封印から解放されないんだ。万事休すだよ。」
「……確かに、この状況は我にとっては分が悪そうだ。」
ニッコリと笑って見せるヴァロア卿の、グランマスターソードが輝いた。
「年貢の納め時だね、アスダフ君。」
「出なっ、お前たち!」
腐巫女さんの号令とともに、三体の異形の者達がアスダフを囲む。
あの大泥棒・左之助を完封したARMSだ。
「腐巫女、ここは僕に任せてもらえるかな?」
「……あくまで私はサポート役ですから。煮るなり焼くなり、お好きに。」
「そうさせてもらうよ。……でも、僕は煮るのも焼くのもしないよ。」
いつもの笑顔。
でも、目は全く笑っていない。
柔和な笑顔なはずなのに、見えないプレッシャーでこっちの背筋が凍りそうだ。
これが《協会の剣》の本気なんだ。
「斬るんだ。」
あっという間だった。
どう斬り付けたのかも、俺には把握できなかった。
気づいた時には、ヴァロア卿はグランマスターソードを鞘に納めていて……。
「すっご……。全然見えなかった。」
「早い……! これが、ハンター協会の総督の実力……。こんな剣士、島では見たことがない……。」
アスダフの両断された身体は、そのまま床に崩れ落ちていた。
アクアス王国 王国裁判所 大法廷 ────
「バカな……! そんな、そんなことがあるのか……?」
四人だけが残された大法廷。
誰もが、パルティアの話をにわかには信じられなかった。
「しかし、事実です。ガノトトスは姿を変えて、この国をずっと支えてきたのです。」
「……なんと……。」
「確かにガノトトスの力は有用かもしれません。ですが、自らの意思でこの水の都を守ってきた彼を……。私は政治に利用されたくはなかった。彼を、守りたかったのです。」
この国に伝わる、水竜の伝説。
その昔、アクアスの初代国王を助け、この国に聖なる水の守りを与えたという伝説の式神・ガノトトス。役目を終えた水竜はその姿を消したと信じられていた。
だからこそ、アクアスの民は姿を消した水竜に憧憬の念を抱き、慕い、神として崇めていた。
だが、ガノトトスは今もなお水の都に留まり、姿を変えて密かにこの国を見守り続けていた。
驚愕の事実に、イハージも、ウォーラーステイン王も黙りこむほかなかった。
「パルティア公のお話が事実ならば、ガノトトスを使役しようとすることはこの国に混乱をもたらします。特に、この王都ヴェンツィアでは……大変な騒ぎになるでしょう。」
沈黙を破ったのは検察官席のウィンザーだった。
「つまり、ガノトトスはそっとしておくべきと、そう思うか?」
「はっ。私は、そう思います。」
「……イハージ、お前はどう思う。」
国王にそう尋ねられたイハージは、目を閉じる。
様々な思考を巡らせているのか、しばし沈黙を保った後、ようやく口を開いた。
「もしも、パルティアの言う通り、ガノトトスがあの場所に留まっているならば……。
ウィンザーの意見と同じく、ガノトトスを使役することは難しいかと。」
「イハージ殿……! わかって、いただけますか。」
「……そうか。わかった。」
そう言うと、王は木槌を再び手にした。
「お待ちください。」
しかし、再びイハージがその動きを止める。
「パルティアが陛下に隠し事をしていたのは事実です。何らかの処罰は、必要かと。」
「ですが、イハージ公!」
「ウィンザー検事、良いのです。イハージ殿の仰る通りです。ケジメは、つけなくては。」
「……あい、わかった。判決を言い渡す。」
アクアスの大貴族、バラモン・パルティア公の裁判は密かに結審した。
国王は発見されたガノトトスを国が利用しないことを誓い、パルティアに判決を下す。
アクアス王国や王に対する逆心は認められず、反逆罪については無罪。
国王に対して嘘をつき、隠し事をしていたことについては処罰の対象となった。
公爵位は残されたが、国王の諮問機関である元老院への参加資格を剥奪。
また、パルティアは自らの意思で水竜神団の教皇の座を退くことを表明。
世間ではアクアス御三家の一角の失脚に、衝撃の嵐が吹き荒れる。
裁判で明らかになった水竜ガノトトスの発見は、傍聴人に緘口令が敷かれて公にはされなかった。
そして最後の尋問に立ち会った三名だけが、ガノトトスの知られざる正体を心にとどめることとなった。
エアリア王国 ダマスクス宮殿 王の間 ────
「……どうやら、一杯食わされたようだね。」
「"影"と身体を入れ替えたんでしょう。早く見つけなくては……!」
アスダフの死体が闇に包まれて消えた。
奴はヴァロア卿に斬られる寸前に、あの"影"を作り出して入れ替わったらしい。
「私とARMSがいながら逃げられるとは……。」
悔しそうな腐巫女さんにの方へ、白兎が心配そうに駆け寄ってくる。
騎士は微動だにせず直立しているが、魔獣は窓の外に向かって唸りをあげていた。
そして、獣同士通じるものがあるのか……狗神もくんくんと匂いを辿って窓の外を眺めていた。
「外だよ、お兄さん。あいつは広場だ。」
「アスダフは広場に逃げたのか!」
俺も慌てて窓から宮殿前の広場を見る。
吹き荒れる暴風雨の中で、エアリアの兵士が意識を失って倒れている。
その中心に、いた。黒衣の男。
そしてそれと向かい合っているのは……。
「碧燕さん!?」
ルーンマスターの里長、碧燕さんとエアリアのプルート副総督だ。
何で碧燕さんがここに……。
まさか、この大嵐も?
「マズいな……碧燕殿が倒れれば、封じ込めていたアスダフ君の邪気が戻ってしまう。そうなると……。」
「下で倒れてるエアリア兵がみんな敵に回っちゃうってことですか!?」
「そういうことだ。急ごう。」
俺たちは階段を駆け下りる。
エアリア王国 王領ダマスクス 宮殿前 ────
「お前か、我の術を封じているのは。」
「おや。ヴァロア卿ともあろう方が仕損じましたか。なかなか手強い敵のようですね。」
余裕ぶっては見せても、状況は悪かった。
碧燕は邪気を封じ込める嵐を呼び寄せるために、全力を尽くしている。
攻撃に転じる余力はない。
「では、私がお相手いたしましょう。」
プルートが碧燕をかばうように前に進む。
碧燕が倒れれば嵐は止み、ゲームセット。
宮殿内から増援が来るまではプルートが一人でアスダフを抑えるしかなかった。
「ほう、貴様が……? 良かろう。」
不敵な笑みを浮かべるアスダフに、プルートは右手を突き出した。
その五本の指にはそれぞれ美しい指輪が着けられている。
「走れ! 極光の稲光!」
プルートの言霊に反応し、小指の指輪にはめられた黄色の魔石が光を放つ。
激しい轟音とともに放たれた雷がアスダフを打ち据える。
「闇の底より噴きあがれ! 地獄の業火!」
続いて、薬指の指輪にはめられた赤色の魔石から眩い業火が現れる。
アスダフは黒衣に秘められた力を発現し、闇の球体で身を包んで業火を逃れる。
「何だこれは……? エンチャントではないな……これは、エレメントストーンか?」
「その通りです。この指輪の石は、マナを使って世界を構成するエレメントの力を引き出す魔石。
……貴方は、どの石がお好みですか?」
プルートはにっこりと笑いかける。
それを見ながら、碧燕は彼女の通り名の本当の意味を理解した。
「なるほど、石集めはただの趣味かと思っていましたが……これが、彼女の強み。」
《ストーンコレクター》。
それが《協会の剣》の部下、ドルチェ・プルートの通り名だった。